ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

アドリブは、楽しい!

ボランテア研修

 昨日は、ヤングボランテア指導者研修を受けに行った。別にボランテアの指導者になろうと思って出席したわけではない。こういった話は、時々聞くようにしている。

  *話から、刺激を受ける *世の中の流れを感じ取る *目的をもって聞く

などなど、それぞれ受ける人の考え方で変わろうというもの。その中でも、今回は、防災の話を聞きたかった。日本語を教えている外国人に ”防災について” 話をする必要があるので、そのネタ作りに聞いておきたかった。

 

「若い!」と言われて、うれしい年齢

 「ヤングボランテア」というので、「オールドですが、大丈夫ですか?」と主催者側に事前に聞くと、「・・・さんは、気持ちがヤングですから大丈夫です」だって、うれしいことを言ってくれるじゃないか。私も、”若い” と言われてうれしくなる年齢になったんだなー、なんて思ったりした。

 

高校生に流行るボランテア

 ヤングと言っているのは、高校生を対象にしたボランテアの研修も同時進行しており、一部重なる部分があるので、このようなタイトルになったらしい。出席してみると、明らかに同世代の人や若い女性もいた。心が躍ったりして・・・、これも若い証拠か?

 主催者側の挨拶で、最近の若者、特に高校生は、ボランテアに興味を持っているらしいことが分かった。

 

ボランテアに偏見を持った時代

 昔、我々の世代感覚では、「あの物好きが・・・」「余裕があるなー」「さも、・・・ぶって」など、一種の偏見のようなものの見方をしたのを覚えている。そういった見方しかできなかったので、その当時のボランテアの人の感覚は分からない。しかし、今、自分がボランテアをしていて、感覚は、一種の社会への御礼のつもりでしている。お金をもらっては稼ぐことが出来ない(でも自分ではできると思っているが)ので、せめて、今まで生かせてもらったお礼に、社会に還元したいと始めたものだ。

 一体、今の若者は、どうして、ボランテアをやりたいのか、聞きたいものである。

 

ヤングブランテア指導者研修の講師(左:信岡茨城大教授、右:アダム天気予報士)

 

キタロウの世界、酒場放浪記

 若い女性のアナウンサーとお酒を飲み歩いて、そこの飲み屋でうんちくを語る「・・・放浪記」などと題する、私の好きな番組がある。そこに登場する主役が「キタロウ」さんだ。今朝、キタロウとインタビュアーとのトーク番組があった。番組中に、昔の仲間がいろいろ彼についての感想やいい点、悪い点などをザックバランに言ったりする。

 

どうして覚えるセリフ

 彼は、俳優としてセリフ覚えが非常に良いとの話があった。これは、練習、練習の賜物だという。「セリフ覚え」と言えば、私の最も不得意とする分野である。少し、違うが、会社勤め現役のころ、よく、研究発表などをさせられた。こういった発表は、原稿を作り、基本的には丸暗記して、発表時は空でするものだが、これが出来ないのである。「空」の部分が不得手なのだ。すぐ、脱線してしまう。つまり「アドリブ」の世界に入る。

 

愛するアドリブ

 今でも、時々、子どもたちに話を聞かせるとか、防災士として、住民の皆さんに話すといった機会がある。そんな時に一番困るのが、この脱線である。昔は、上司がいたので、丸暗記をした成果も見せないといけないことから、しっかり原稿も作った。

 しかし、今や上司はいない。そこで、今では、筋書きだけを書いておく。それぞれの話の柱に、必ず話すことだけは記載しておく。そして後はアドリブである。

 キタロウはテレビが好きだという。理由は、アドリブが多いからだという。

 

テレビとは、家具である

 キタロウの最後のインタビューは、「テレビとは何ですか?」だった。「テレビは家具である」と他人の言葉だが、と前置きして語っていた。”確かに・・・”と合点がいった。見もしないのに、点けっぱなしのテレビでも気にならない。でも、何かを見たいという時には、テレビ番組を探して、そのチャンネルに合わせる。

 なるほど「家具だ!」

 

 

報道の自由?

我が家のアヤメ

 我が家の庭には、昔からアヤメがある。植えた記憶もないが、いつの間にか群生して毎年綺麗な花を咲かせる。昔はもっと背丈が大きかったはずだが、土壌に栄養分がないせいか、肥料もやらないせいか、年々小さくなっていくようだ。

 アヤメとは書いたが、花の名前に興味がない私は、アヤメも花しょうぶもカキツバタも区別がつかない。そこで便利なネットである。調べてみた。それによるとアヤメのようだ。花弁の根元に黄色と白の網目模様があるのが決め手である。とネットに出てた。

我が家にあるアヤメと思われる花

 

こんな報道許される?

 昨日、何とはなしにテレビを見ていたら、ある地方の県議員が話題になった。名前も顔も露出させての報道である。こんな放送をテレビで放映していいのだろうかと疑問に思ったのでブログに載せてみる。対象となる人も県も分かっているが、違法のような気もするので、敢えて伏せてる。

 

1200万円の報酬をもらう県議員報道

 県議員が1200万円も給与があるというような話の報道だ。その議員の県議会での議場での様子を映像で捕らえたもの。映像に訴えたかったのは、1200万円の高給取りなのに、議会場では、居眠りはするわ、週刊誌は読むわ、何やらメモ書きの設計図を書いているわ、つまり、県議会の最中に、こうしたアルバイト(私用)をしていている、と言いたかったようだ。その為、1日目、2日目、3日目と丁寧に同じ議員の議会中の様子を追い続ける。更には、こうした議員に、集中的にインタビューをするという徹底ぶりだ。インタビューを受けた議員は家の裏口から逃げたり、インタビューを受けても、寝てたことを認めない議員、お祭用の工作物の構造の絵を描いていたとウソブク議員、週刊誌を読んでいたのも議員活動の一つだと言い張る議員などなどである。

 

県議員の仕事とは?

 県議会に出て、議論の様子を聞き、自分なりの考えをまとめるとかといった行動は、1200万円の給与の一部だろう。だが、会議の半分位、寝ていた議員が許されるかと言えば、許されないだろう。しかしだ。公共放送で、一議員をこうした取材で追い詰め、(結果的に)辞めさせるとか、選挙に落選させるといった取材の仕方は良いのだろうか、と疑問を持った。ちなみに、この議会に欠席していた議員もいたらしいが、どうして欠席したか、それが、正当な理由だったか、などは取材していない(もしくは放映されていない)。

 

報道の自由

 報道の自由だと言いつつ、こうした一個人の議員を追求し、公共放送で放送することは、本当に良いのだろうか。国会議員だって、市会議員だって、同じような議員は何人かいるような気がしている。議員同士の意見交流だ、議員活動だと言っては、飲み歩くような議員もいるはずだし、公平に全部の議員を取り上げるべきである。しかし、このようなことは不可能に近い。従って、名前を伏せるとか、顔写真を出さないとかの配慮をするべきではないのか。

 悪いことだとは分かっているが、「報道の自由」という美名のもとに、こんな報道の仕方は良いのか、と疑問に思ってしまった。

 

 

フィリピンの話題(50.とうでん(盗電))

 このブログで紹介しているような海外の話題は、たくさんある。先日、小学生の子どもたちの前で、いくつか紹介した。半世紀も前であるがゆえに起こった出来事、今でも通用する考え方など、参考になる経験がそれなりにあるだろうと思うからだ。

 現代社会だって、初めて海外に行く人たちにとっては、ビックリすることも多いはずである。情報化が発達した今どきでも、国民性などはそうそう変わるものではない。

 この項、つまり、フィリピンの話題は、30回から20話程度、このブログで紹介している。そろそろ、終わりに近づいてきつつある。

 

盗電、居座り 得する社会

  さて、今回は、「盗電」の話である。ともかくフィリピン人は器用である。そして情報力が優れているので、色々な話が集まる社会である。「盗電」とは、電気を盗むという行為である。日本と同じように、電柱を建てそこに電線を張り、各家庭に電気を引き込む。通常、電力会社や電気工事会社の従業員がしてくれる仕事である。電気料金の高いフィリピンでは、電気代がもったいないとばかり、近くの電線から自分たちで引き込みをやってしまい、電気料金を払わないのである。

 

盗電の方法 取り締まれない

 やり方としては聞いた話でなく想像で話をすると、恐らく、電気工事業の従業員にプライベートでなにがしかのお金を支払い、引き込みをやってもらうのである。そして、引き込みをやった作業者は個人的にお金が入り、引き込みをしてもらった家庭は、タダで電気を使えるというウィンウィンの関係となり得るのだ。フィリピンの電力会社では、この盗電被害が、無視できない大きさになっているようであるが、そこはフィリピン。これを取り締まる従業員や警察までも貧困者の味方であるからなかなか取り締まれない実態となっている。

 

公共の場に居座る住民

 更に非常に理不尽な状況がある。これはフィリピンの法律では認められているのかどうか良く分からないが紹介する。ドライバーの話だったと思うが、公共の土地に家を建ててしまうのである。日本なら市・県・国の土地に自分の個人の家を建ててしまうのである。河川敷に個人の家を建ててしまうようなものである。家といっても土台をコンクリートで作ってといったものでなく、掘立小屋の類なので、数日でできあがる代物である。一軒が建つと、その隣に別の家が、そして更にまた一軒という具合に次々と家が並ぶ。「盗電」と同じ理屈で、取り締まる側が同類項であることから、なかなか取り締まれず、子どもが生まれてから成人するまでその家で過ごしたなんてことはよくあるようだ。

フィリピンの貧民窟(あちこちに存在する、ネットから引用)



違法占拠者に払う補償費

 そしてこの公共の土地を住宅地として開発するというような話になった場合、日本なら強制撤去になる筈であるが、フィリピンでは公共機関が補償費を払って撤去させることになるのだ。他人の土地に無断で家を建て、何十年後かには、補償費までもらえるというのである。非常に理不尽なことのように思えるが、会社で雇っていたドライバーの話であるから、あながち、眉唾的な話でもないだろうし、補償費も安いフィリピンでは起こり得る話だと思っている。

健康と美容優先?

母性本能

  小学校一年生の女の子がキャンプ場で姿を消した。三年前のことである。そして、最近、その子のモノと思われる靴や靴下が人骨の一部と共に見つかった。近くの道を通った人が偶然発見したらしい。そして、また、着ていたと思われる洋服も見つかった。母親は、それらを警察で見せられ、子どもが着ていた服と同じモノであると認めている。しかし、マスコミの取材に、「子供は、必ず、生きて戻ってきます」と言い続けている。三年の間、きっと子供はどこかで生きていると信じているのだろう。信じたいのかもしれない。母親とはそうしたものだ、と皆が言う。母性本能だろうか。

 

言わなくても分かる子供の心理

 昨日、いつも見る演歌の番組である。歌手が出てきた。三人兄弟の末っ子で、両親には可愛がられて育ったという。母親が美空ひばりの大ファンで、子どもの頃から美空ひばりの歌を聞かされ育ったらしい。実家のある九州の近くには大都市福岡がある。毎年一回美空ひばりのショーが開かれ、母親の膝の上で、毎回そのショーを見ていたという。15周年に当たる年に、念願だったNHK紅白歌合戦への出場が決まった。それを早速母親に報告するのに電話をかけると、まだ何も言っていないのに、どこへも報道されないのに、母親は、「出場が決まった」と分かったらしく、いきなり「おめでとう,良かったね」と言ったという。母親は子供話すトーンや雰囲気、顔色などで、子どもが何を言おうとしているか、何を思っているかが分かる。

 

今も続く、ラジオ体操

 もう10年も前になろうか、我が地域でラジオ体操をやろうということになり、カセットを買い、ラジオ体操の曲を録音し、身近な5,6人でラジオ体操を駅前広場で始めた。その体操が今も続いている。20人近くなったらしい。

 また、この地域でシルバーリハビリ体操というのを毎週一回、集落センターで行われている。

みんなでラジオ体操(ネットより抜粋)

 

健康と美容に興味?

 これらは、いずれも女性が圧倒的に多い。女性の方が男性よりが長生きしているので、女性の方が多くなるのは、年より社会では当たり前という議論もある。しかし、これは、「ニワトリとタマゴ」と一緒で、健康意識の強い女性だから長生きする、健康意識が強いから、色々な体操に参加するとも言えるのである。

 夜中のBS放送などを一度聞いてみたら良い。どのチャンネルを回しても、「・・・は健康に良い」「・・・はお肌に良い」と、健康と美容の番組ばかりである。女性の「生きる」ことへの執念は大したものだ。一方、男性はと言えば、「面倒くさい」「そんなことやっていられるか」などと言いながら、何となく避けようとするきらいがある。

 

褒められ好きな女性

 地域でラジオ体操を始めたころ、近くのおばさんが寄ってきて、「この前、クリニックに行ったら、ラジオ体操をやっているんですか、それは良い、ぜひ続けて下さい」と言われたと誇らしげに言う姿を、今でも覚えている。その陰では、女性がクリニックの先生の前で「先生、私、みんなで毎朝ラジオ体操をしているんですよ」と得意げに言っている姿を思い浮かべる。女性とはそんなものかなぁー。

技能実習生に助けられる日本社会

円高

 円高である。つい先日まで109円などと言っていたのが嘘のようで、130円を超えた、越えないの話をしている。先日、小学生を相手に、円高の話をしたばかりだ。20円も違ったら、2割は違うので、2万円が1万6千円の価値しかなくなるということである。日本で暮らし、日本で生計を立ている我々にはお金の価値の実感がないが、外国製品の値上げという形で跳ね返り、そこで円高を思い知らされる。

 

増え続ける技能実習

 もう10年近く、技能実習生にボランテアで日本語を教えている。彼らにとって、円高は切実な問題である。今朝、実情をマスコミで報道していた。

技能実習生の受け入れ状況推移

 マスコミでは最新のデータを紹介していたが、ネットで探したが見当たらず、いささか古いデータで恐縮である。

  ・技能実習生の数は増え続けている。

  ・ここ2,3年増加率が減少している

     (最新情報がないので、上記グラフに現れない)

このポイントを報道していた。コロナの影響もあるかもしれないし、円高の影響もあるかもしれない。

 今、教えている人はベトナム人だが、ここ数年、中国人を追い越してベトナム人が多くなっているのは、実際に教えている現場としても実感できる。

 

日本で、出稼ぐ外国人

 2,3日前に教えた実習生は、21歳の青年は、電機メーカー、32歳の若者は、農業関係やらいろいろの仕事を転々として、日本に技能実習生としてやってきた。マスコミの報道でもそうだったが、母国と日本での給与差があるから、日本にやってきて働き、母国に仕送りをする。円高が続くと、そのメリットが少なくなり、日本への技能実習生の数が減ってくる。

 

外国人を必要とする現場

 今、教えているベトナムの人たちの日本での現場は、部品製造、建築、農業などである。こうした業務の会社は、貴重な労働力として雇い入れていることも、またしかりである。中には、本来の目的である「技能実習」を目指すものもいるが、殆どが、出稼ぎ労働者と同じ感覚のようだ。3年の技能実習が終われば、特殊技能の資格を取り、より高い給与の職種へと移り、更に、5年出稼ぎ労働をするのである。

 建前と本音が行き交う日本社会。そういう決まりを作るのがうまい官僚。先日の知床での遭難事故も一緒だ。検査の決まりがあっても、役に立つ機能を発揮しない。官僚の行き着く職場としての検査組織。

 

外国人の若い労働力を必要とする日本社会

 そろそろ、本音の決まりがあっても良さそうに思うがどうだろう。日本社会が若い労働力を必要としている。また、彼らがいないければ、日本社会が成り立たない。彼らに感謝しながら、日本で働いて頂く決まりに出来ないものだろうかと、日本語を教えながら毎度考えることだ。

 昨日だったか、ベトナム人相手の事件が起きた。日本人とベトナム人との間に人種差別的な感覚があるらしい。ベトナム人をいじめている輩(やから)も、いずれそうした外国人の働き手に助けてもらうことになるというのにである。

 お目出度い人たちである。


 

若葉の茂る、田植え時期

”茶摘み”ならぬ”田植え”時期

    夏も近づく 八十八夜

    野にも山にも 若葉が茂る

    あれに見えるは 茶摘みじゃないか

    茜たすきに すげの笠

 懐かしい、「茶摘み」の歌詞である。今年は、五月二日が八十八夜に当たることは、このブログで先回触れた。私が住んでいる茨城県北部では、毎年5月連休前後が稲作の田植え時期。野にも山にも若葉が茂る時期が、正に、その時期に当たるのである。

 

大型機械での田植え

 そうだ! 今日は、田植えについての写真を撮ろうと思い立ち、同じ農業委員をしている大農家の田植えを見させてもらった。近くで毎年やっていることだが、しみじみ見たことはなかった。

左:代掻きに使用するトラクター  右:田植えに使う稲の苗

ビックリする田植えスピード

 ビックリしたのは、その速さである。1反歩や2反歩は、1時間もかからずに田植えが終わるのである。この農家は、70丁歩という広大な田んぼを作っている。70町歩と言えば、700反歩である。東京ドームに換算すると、4.5杯分ということになる。そんなに時間をかけていては、田植え時期に終わらぬのだ。

右:まず、田んぼの中央部を植える  左:最後に残った周りを植える

左:最後の1周の最後の列(8条植え) 右:右の土手から田んぼを抜け出す

 上記の田植え時間は、数十分だった。見ている間の、あれよあれよという間である。

苗が無くなれば、補充する。

左:軽トラックに積んだ苗を田植え機に 右:無くなった肥料も補充

障害となる小さな田んぼ

 写真の機械は8条植えで大型機械に類する。肥料も同時に撒く。田植えの時間は少なくても、田んぼから田んぼへの移動時間がかかる。田んぼの大型化を狙い畔を取ることもしているが、なかなか地権者の了解も取り付けられないケースもあるらしい。また、田んぼがあっちに5反歩、こっちに7反歩と地域内に分散しているのも、大きな障害になっている。

左:トレーラーから降ろすトラクター 右:トレーラーに付いた代掻き機で均す

田植えはチームプレー

 田植えの前には、代掻き(しろかき)作業というのがある。トラクターに代掻き機を取り付け、水を張った田んぼの中を均しながら、土を泥状にして田植えができるようにする作業だ。田植えの前には先行してこの作業をする。つまり、田植え作業は、連携作業なのだ。この日は、一方で「代掻き班」、そして他方で「田植え班」である。5人で分担して作業をしていた。更に後方支援としては「食事作り班」もある。

 

農業の今後の課題

 こうした大型機械を使わないとペイしないという。限度は、30町歩位だそうだ。そして、大型機械を使うためには田んぼは大きくなければならない。従って、効率の悪い山間の田んぼや小さな田んぼは耕作放棄地になってゆく。

 更に大きな問題は、若い人が少ない。従って、労働力が少ない。手伝って欲しくても、手伝ってくれる人がいないのである。今まで、5反歩、10反歩と自前で作っていた人も、老齢化で作れなくなる。今後の稲作の大きな問題である。 

世界で一番訪問したい国

改革意欲がない

 今朝は、まだ暗いうちに目が覚めた。目が覚めると、いつもの癖でテレビを点ける。今日は、名前は忘れたが討論番組の終りの方だった。田原総一郎が司会の番組だ。そして、気になった言葉があった。「今の若い人は、改革意欲がない」というものだ。年寄りの討論番組のようなもので、30代、40代は2,3人しか参加していない番組だから、こういった意見も出るのもやむを得ない。

 

安定した収入・生活を求めて

 そして、その理由は、今の人は安定した生活を望み、大企業に勤める人が多いとも言う。そんなことはない。昔だって、私たちのように、大企業に勤めれば食いっぱぐれがないと言われ、こぞって大企業に勤めたものだ。ただ、その中でも、一部の学生は、自分で会社を興すとか、海外に活路を見出すとかといった人たちもいた。

 

がむしゃらな世の中から安定した世の中

 昔の我々の時代、昭和40年台に就職した人たちの親は、戦後で苦労しており、高度成長期を過ぎて、ともかく安定した職を身に付けることだけを望んだことは確かである。一方、我々の子どもたちは、そこそこ安定した時代に育ち、何でもお金を出せば買える世の中になった。変化を求める必要のない時代に育ったことで、がむしゃらに変化を求める必要もなくなった。

 

年寄りにナットなど必要ない?

 その番組の討論会に30台と思しき人物が参加していた。そもそも、司会の田原総一郎さんが、人の意見を途中で遮るのが悪いと言い出した。つまり、これは単なる例であって、若い人の意見を聞かない、というのも、今の年寄り(70歳台以上?)の特徴かもしれない。そもそも、パソコンは出来ない、インターネットなんか知らない、携帯なんて使い方が分からない、そういう人たちだから、まともに若い人たちの話を聞いても分からない。だから、話を遮る。

 

簡単に調べられる

 そういうことだけでもない。昔は、読めない字や意味の分からない字やがあれば、分厚い広辞苑を開いて調べた。もっと分からないことは近くの図書館へ出かけて調べたものである。専門書を紐解いても調べるというようなこともあった。ところが、今は、携帯からインターネットで探せば、すぐ、答えが分かる。

 外国人に日本語を教えているが、例えば「綺麗な」という言葉を、日本語を知らない外国人に意味を教えようとしたら大変である。しかし、彼らの携帯で、「kireina」と入力させて、彼らの言語で調べさせれば、わずか1分もしないうちに意味が通じる。そんな世の中なのだ。

 

世界で一番行きたい国、日本

 今、日本は、世界で一番行きたい国だそうである。私も、数十か国(アメリカ本土を除く)を訪問して、思うことは、「日本が一番」ということである。私は、てっきり、生まれ育った国だから、そう思うのだろう、と思っていたが、どうもそういうことでもなく、日本が、世界の人たちも行きたいと思うような国になったということなのだろう。

 

常に改革の意識を

 美しい風景などの自然は変えられない。しかし、人を思う気持ちや風土・習慣は変わってゆく。また、悪しき習慣や決まり・規則の類は、変えていかなくてはならない。資源がない国の辛さは、ウクライナ問題で十二分に分かったはず。日本には資源がない。その日本をどうするかを考えるのは、日本人である。常に「改革」を考えていかないと、世界から見放されるような国になってしまう。そういう危機感は常に持っていなければならないだろう。

毎年咲く。まだ、七分咲きだが、我が家のつつじ(霧島)