ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔ばなし①ー1

 「世界おもしろ昔ばなし」を書き出すに当たって、当時の時代背景から説明しよう。私が会社へ入ったのが、1970年(昭和45年)である。そして、最初の海外渡航は1972年だったと思う。そして余計なことだが、私たちの結婚は1974年だった。その頃、海外というのは、高根の花という感じがしたものだ。当時の初任給が5万5千円。しかし、当時から芸能人はハワイで結婚式を挙げるというのが流行っていて、テレビや週刊誌を賑わしていた。そういった風潮に流され、私たちの結婚式は74年にハワイで挙げた。その時の旅行代が、確か1人30万円超だったと記憶する。当時の私の貯金が70万円弱しかなく、その全貯金をはたいてハワイに行ったと記憶している。

 そんな時代に、海外に、しかもタダで行ける、というのは何とも魅力的なことだった。つまり、行けない人から羨ましがられたということである。当時、会社のお金で海外に行けるというのは、技術・研究的な会議で行く短期海外出張か、我々のように工事で海外に行くかのどちらかであり、技術・研究で行く一部の人を除いては、一般の会社員が海外へ行けるのは、工事関係者だけだった。そして、1970年代は、羨ましがられる工事部門だったが、80年代以降になってゆくに従って、3k職場などといわれ、蔑まれるような職場へと変わっていったのである。

 そんな花形の職場で、最初の出張の声がかかった。当時の工事出張といえば二大出張地があった。一つはシンガポール(東南アジア)、もう一つは湾岸諸国(中近東)だった。シンガポールは都市開発、湾岸諸国は油田発掘が目的だった。そうそう、私の会社の仕事を書くのを忘れていた。私の会社は、ケーブル(電線)製造会社で、私は、そのケーブルを現場に据え付ける工事(設計)部門に所属していた。当時からシンガポールは、観光地として有名であり、砂漠しかない湾岸諸国へ工事出張するより、遥かに、誰もが行きたい国の一つであった。

 会社は民間会社であり、営利を追求する会社である。従って、慣れた人間を出張させる方が効率もいいし、成果も出易いということで、一旦、行き先が決まると、そこへ何度でも行かされたのである。つまり、一回出張先が決まってしまうと、なかなか、それを変えるということをしなかったということである。どういうことかと言うと、最初に東南アジアに決まると、それからしばらくは東南アジア方面が続き、中近東だとしばらく中近東になるということである。

 そんな時に入社2年目の私が中近東(アブダビーUAE)に出張が決まったのである。以後、サウジアラビアクウェートと中近東が続くことになる。そして、当時は

どこに決まろうが、そんな行先の良し悪しはあまり考えるような余裕はなかったように思う。当時の日立の街は小さな飲み屋さんや小売店が一杯あり、そこへスーツケースを買いに行き、サムソナイトという名前のスーツケースを買ったのを覚えている。

 いろんなところでこういった話はしているので、既に聞いた方もいるかもしれない。

初めてスーツケースにパッキングもした。今は、大きなスーツケースを持たなくても海外に行けるが、当時は、スーツケースは必需品くらいに思っていた節がある。そして、いよいよ出発。何月何日何時の日立発特急で東京へ向かう、ということがみんなに知らされる。すると、日立駅3番線ホームまで、会社の同僚(というより先輩たち)が見送りに来てくれたのである。みんなで、不安一杯の私を”バンザーイ””バンザーイ”の声と共に送り出してくれた良い時代だった。(次回へ続く)