ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

人生を変えた出会い

「人生を変えた出会い、人生を変えた歌」という番組で感じたことを書いてみたい。

 作曲家 船村 徹、歌手 北島 三郎、作曲家 弦 哲也 のそれぞれの出会いの話である。北島三郎は、函館から歌手を目指して上京する。7人兄弟の長男に生まれ、年に一度、新調した下着を着るのが唯一の贅沢だったというほど貧しい家だったらしい。そして、父親に拝み倒して上京の許しを乞うと、父親に「体に気をつけろ、がんばれ」と、テープを通じて聞こえる励ましの声に送られながら青函連絡船で覚悟の上京をする。そして渋谷で流しをして生活。そんな時に、船村 徹に出会う。船村は北島の歌を聞き、その当時歌手だった三橋美智也、村田英雄などの歌を歌う”流し”は、結局、元の歌手に似せて歌ってしまう。プロとは自分を出すことが大事だということを教える。

 そんな船村(栃木出身)も、今では有名になった高野公男(茨城出身)との出会い、

高野が生前言っていた、「日本人の心を唄う歌」に大きな影響を受ける。しかし、高野の早逝に見舞われ、以後、高野の遺志を受け継ぎ、作曲に心血を注ぐ。高野の作詞で絶筆になった”男の友情”は、いつ聞いても心に沁みる。それまで、コロンビアの専属作曲家としての生き方に疑問を覚え、高野の23回忌を機に、全国を回る「演歌巡礼」に。そして独立。「風雪ながれ旅」、美空ひばりの「みだれ髪」と大ヒット。ついに、「北の大地」で、日本レコード大賞受賞。

 その頃、歌手としてなかなか芽の出なかった、弦 哲也は、一緒に行った出先で、北島から「お前は、まだ歌手を続けるつもりか」といわれる。そして、「俺だって、最近、歌を作っているんだ」といわれて渡されたのが、北島の作曲した「風」。このメロディを聞いて、メロディが人の心に届いて、人を感動させることに気づき、全国演歌 100番勝負と銘打って、売れなければ、それまでの二足の草鞋を履かず、作曲に専念しようと決め、全国行脚。そして、歌手に見切りをつけた。弦の弟子として有名な水森かおりは、「先生の歌は、歌手の良い所、得意なところを引き出してくれるので、安心して歌える」と言う。そして、弦は、北島へ送った「柵(しがらみ)」という歌で、北島へ恩返しを果たすとともに、作曲家として一人前になったことを自覚する。

 

こうしてみてくると、人にはそれぞれ出会いがあり、その時々で色々なことを教わる。

私が、会社員時代、出会った上司・同僚、教わったこと、アドバイスも一杯ある。そのいくつかを紹介して終わりとしたい。

  ・上司には「どうしたらいいですか?」ではなく、「どちらにしますか?」だ。

  ・「難しいことから逃げようとしていないか?」

  ・「人を使うには、人心を読むことから始まる」