ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔ばなし①ー2

 昨日、毎月行っているかかりつけのお医者さんで面白い話を聞いた。明日の話のタネにとっておいて、今日は、先日の「世界おもしろ昔ばなし」の続きを書く。

 

 今となってみれば、なぜか分からぬが「バンザーイ、バンザーイ」の声で、日立駅を後にし、上野駅に到着。重いスーツケースをゴロゴロ転がしながら、山手線ホームへと。そして、花の東京、東京駅に降り立つ。今ならコインロッカーに荷物を置いてとなるだろうが、当時は、そんなものはなかったように記憶している。そもそも、10数年前の定年間近に海外に行ったときには、スーツケースは宅急便で家から直接空港まで送った。今は、手持ちする必要はないのだ。本社は千代田区の千代田ビルにあった。スーツケース同伴での本社訪問である。

 本社へ出頭する意味は、ここでパスポート他、海外に行く時に必要な書類をもらうためだった。本社には輸出業務という部門があって、ここの藤井さんというお年を召した方がいらした。当時、我が方は学校出てからたった2年の若造だから、当時藤井さんが30半ばだったとしてもおばさんに見えたと思う。すごく感じの良い、親切な方だった。不安一杯の若造に、海外への行き方を説明してくれる。パスポート、ビザ、航空チケットなどを渡され、更には、「今晩は新橋第一ホテルに泊まってください。明日は、・・時に羽田空港に行って、チェックインをしてください。では、気を付けてね」。

 チケットを見ると、アブダビまで行く途中、カラチに真夜中の12時に着くことになっている。そこで、「カラチに真夜中に着くことになっていますけど・・・」と言うと、「空港カウンターは開いているので、そこで、ホテルまで送ってもらってください」と、当方の不安を察知したかのように言う。

 また、ゴロゴロ、ガタガタと20キロのスーツケースを転がしながら、山手線で新橋まで行き、駅前にあった新橋第一ホテルにチェックイン。翌朝、浜松町駅からモノレールで羽田空港へと向かう。チェックインする頃になると、本社営業の方がここでも見送りに来てくれた。今にして思えば、これもヒョットしたら、工場の上司が心配して、見送りに行ってやってくれ、とお願いしたのかもしれない。

 そして、いよいよ機上の人となった。何もかも初めてである。人それぞれに違うかもしれないが、未だに、飛行機が離陸するときと着陸するときで、どちらが安心できるか、と聞かれれば、未だに離陸するときの方が嫌である。しかし、操縦術から言うと、着陸の方が難度がはるかに高いそうである。当時は、スチュワーデスと言われる綺麗なお姉さん方が、いわゆる機内サービスをする。また、出てくる機内食も美味しい。外を見れば雲海。適当に寝ながら、そして、ビデオを見ながら過ごす。基本的に海外出張では、ビジネスクラスであり、エコノミークラスを利用したことはない。従って、ゆったりした座席でファーストクラスとまではいかないものの、それでも、美味しい機内食と至れり尽くせりの機内サービスが受けられたのである。

 機内放送があった。いよいよ、カラチである。機内では、英語放送もあるが、必ず日本語放送もあり、最初の寄港地迄は、日本が続いているような錯覚を覚えるものである。初めての海外の国パキスタンのイミグレーションを通り、真夜中の空港内ロビーへ出る。空港カウンターを探す。360度見回して、やっと、遠くにカウンターらしきデスクがある。でも、そこを見ても人っ子一人いない。さて、どうしたら良いのか、途方に暮れた。キョロキョロ周りを見回している若造を奇妙に思ったのか、制服を着た警官らしき人物が近づいてきた。「・・・・・」と聞いているらしい。何を言われているのか分からぬままでいると、そのまま、詰め所らしきところまで連れて行かれた。そこで、私が持っているチケットを見て察知して何やら電話をかけ出した。そして、空港ロビーの外まで連れ出されると、そこにはマイクロバスが待っていた。それに乗る。乗客は私一人だったように記憶している。恐らく、今思うに、一般の客は、飛行機を降りて、すぐ、ロビーに出て、バスに乗り、ホテルに向かったのだが、何から何までが最初の私は、あらゆるところでモタモタしている間に取り残され、係官が手配してくれた別便のバスでホテルに向かうことになったのかもしれない。

 ともかく、外国での記念すべき一泊目である。明日は早い。まずお風呂、と言ってもない。シャワーだけでもと思い、蛇口をひねる、出たー! でも、水だ。しかし、受付に聞いても英語は通じないだろうし、仕方なく、震えながら水シャワーを浴びる。そして翌朝である。今度はバスの時間に間に合うようにと早めに朝食をと朝食会場のロビーに降りる。食べ物が一杯ある。どうやって食べるんだ? 周りのお客のやることをしばらく見て、同じようにやって食事は終了。後で考えると、半世紀前に、当時パキスタンのホテルでは、ビュッフェ・スタイルの食事だったのだ。

 こうして1泊目が済み、空港へ向かう。今度はガルフ航空である。チェックインを済ませ、飛行機に乗り込む。羽田での様子と180度違う。さっきのロビーも昨夜は動転してたのか、何も気が付かなかったが、空港内の掲示物、空港内案内、そして機内放送、何から何までも、英語、英語そして英語である。恐らく半分も分からぬまま、機上の人に。日本語は全くなし。スチューワーデスも毛色が違うおばさんである。当時、日本ほど若くてきれいなスチューワーデスは、他の航空会社にはいなかった。その後も、色々な航空会社の飛行機に乗ったが、共稼ぎ夫婦の女性が海外には多かったせいか、お年を召した女性がスチュワーデスというのは一杯あった。どこか不愛想に見える。また、この時、ビジネスクラスはなかったように思う。カラチからアブダビ迄は約2時間である。ネットで調べると、現在、日本ーカラチもカラチーアブダビも航空ルートとしては存在するが、航空会社はいろいろあるようだ。

 そして、いよいよ目的地、UAEアブダビ空港到着だ。機体から出ると、”ムッ!”という肌感覚と共にメガネが曇る、独特の中近東の熱気である。お客様であるアブダビ石油の日本人が出迎えてくれた。日本人、日本語が懐かしい。日本の石油会社が、アブダビで石油発掘の仕事をしていた。その発掘現場では、油井というものがペルシャ湾海上にあちこちに掘られた。その掘るための動力、輸送するための動力が欲しいことから、陸上の発電設備から油井(やぐら)まで、海底ケーブルを敷設するのが今回の仕事だった。(以下、続く)