ミドさんのブログ

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世界おもしろ昔のはなし②-3

今回から、タイトルを「世界おもしろ昔ばなし」では誤解を受けそうなので、「世界おもしろ昔のはなし」とした。

 

 シドニーはもちろんオーストラリアで一番人口の多い町だが首都ではない。町の中心部とノースシドニー(地名だが、シドニー北部という意味)はシドニー湾の海峡で離れていたが、そこに1932年に完成したハーバーブリッジという大きな橋がある。シドニーだけではなく、オーストラリアの絵が出てくるとすれば、まず、最初に出てくるのが、このハーバーブリッジとオペラハウスがセットになった絵柄だろう。オーストラリアに行く前に、今のようにネットが発達していたら、事前に絵を見て、調べていくところだが、そんな知識もなく現地で初めて見たときは、その大きさに圧倒された。

 何にびっくりしたかと言うと、その車線の多さ(8レーン)とリバーシブルレーンと言われる、上下の中央線が時間によって変わるシステムである。出張当時は、1980年代初頭だったが、この当時は市の職員が小型トラックの荷台に乗せたT字型のゴム製で出来たものを中央線の上に置いてゆくのである。それが中央線を意味し、その時間から上下線の車線数が変わるのである。朝のラッシュ時は中心部へ向かう車線を5車線にし、夕方になると2車線にして、交通緩和をするという方法である。つまり、常時、上下線が程よく混んだ状態になる。なるほどうまい交通緩和策を考えたものだと思ったが、それも、8車線という多くの車線を有するがこそできる技である。1932年と言えば、日本は昭和5年。この時代に、これだけの車線を考えた為政者も大した先見性である。そして、最近ネットで知ったが、今から30年前には、この人力によるセンターラインの移動は信号機に変わった。そして、更に、ハーバーブリッジに並行して海底トンネルによる南北シドニー横断道路が出来上がったのである。

 当時、ノースシドニーのホテルに住んでいた私たちは、毎日、この橋を渡り、現場に向かった。当時からこのような車線変更をしても、橋は車で満杯の状態だった。海底トンネルが出来たのも当然の結果のように思われる。しかし、混雑解消対策は他にもあった。今、そのシステムがあるかどうかわからないが、バス専用レーン+複数人乗車車両レーンが1レーン特別レーンとして設けられていた。つまり、一人で車に乗車した場合は、この特別レーンは使えないのである。この特別レーンを走ると渋滞もなくスイスイ車が流れる。早く目的地へ着くのだ。だから市民は複数で乗車する。すると車の絶対数も減るというもの。こういった施策を考えるオーストラリア人をなるほどと思ったものだった。 

 シドニー近くには二つの海岸があった。日本で言えば、湘南海岸と言ったどころか。アバロンビーチとボンダイビーチである。アバロンビーチは、シドニーより北にある一方、ボンダイビーチは、南(というより南東部)にある。アバロンとは、アワビであり、調べたことはないが、おそらくアワビのとれる海岸ということなんだろうと思う。実際に遊びに行くと、岩礁部分があり、そこでアワビが取れたのだ。当時は若さもあり、アワビが取れたと喜んでいたが、おそらくトコブシだったのではと思う。

 また、ボンダイビーチもきれいな海岸である。ここでは驚いたことがある。海岸の砂浜で休んでいると、遠くから、むくむくの赤い衣装を着た人が近づいて来るではないか。夏の熱い最中にである。よく見ると、サンタクロースのいで立ちで海岸線を歩いているのだ。考えてみれば、12月なので、クリスマスの時期だ。そうか、南半球ではクリスマスは夏にやってくるのだ。ジングルベル、ジングルベルとそりに乗ってやってくるのは、北半球のクリスマスである。しかも、北緯40度、50度の想像できる世界の話だ。つまり、ハワイだって、サーフィンに乗ってやってくるのだ、と気づいた。

 日本にいると日本の四季が標準で、そこから逸脱した現象は、特別なこと、外国で起こることとして捉えがちだが、グローバルな世の中で、雪の上のサンタは、逆に特別なのである。地図だってそうだ。最近よくマスコミで話が出るので、分かっている人も多いと思うが、自分の国を中央にする地図を多くの国が使う。日本が地図の中心部にあるのは、日本の地図だけである。 

 前に、中近東に行った時、そこの地図は日本の地図らしいものはなく、現地で手に入る地図と言えば、非常に簡単なものばかりだったし、アラビア語で書かれたものばかりだったので、道路と建物の関係を見るだけのものという使い方をしていた。本格的な地図の利用としては、外国ではオーストラリアが初めてだった。前にも書いたが、英語が通じない(話せない)ことから、対面式の会話を余儀なくされ、誰とでも相手の人のところまで行って話をするということをやった。当時、ナビなんてものがあれば、入力だけで目的地へ行けるわけだが、そんな便利な物もなく、また、携帯電話などという便利な製品もなく、地図を頼りに相手を訪ねるのである。

 ところが、オーストラリアの地図は便利だった。厚さが5センチくらいのB5判位の大きさだったと思う。当時いた駐在員の先輩が、その地図を使うようにとくれた。地図が便利だというより、住所の考え方が便利に作られていたのである。日本は地域優先の地図であるが、オーストラリアは道路優先の地図である。日本は、・・・町とか・・・部落と言うと、そこまでは行き着くものの、そこから家を探しあてるのが大変である。しかし、オーストラリアは、・・・道路の・・・番地と分かると、後は、道路を探して、そこにある番地より大きいか小さいかで先に進むのかバックするのかが決まり、更に、奇数なら右側偶数なら左側と言うようになっているので、すぐに家が見つかった。

 この方式は、オーストラリアだけではなかった、その後訪れた国は全部この方式で、日本だけが特別だったという印象である。昔の平安京平城京のような作りだと極めて分かり易いが、あれ迄碁盤の目のようになっていなくても、うねりくねった道でも、番号順に並んでさえいれば、非常に分かり易いのである。

 シドニーの地図を持ってきて、アルファベット順に並んでいる道路名を索引から探す。そのページを開けて、番地を見るとすぐどの家か分かる。あとは、全体図でその道路にどうやって行くか調べれば、目的地がはっきりするという寸法である。ただ、今のようにナビが発達した世の中では、日本式でも外国式でも結果は同じだ。昨日、テレビで旅番組をやっていた。少し離れたところで場所を教わった人が、その家を探し当てるのに苦労していた。「そこをまっすぐ行って、・・・の角を曲がり、しばらく行くと、・・・の前にある家」というような教え方をするからである。

 既に、オーストラリアに来て半年も経った。3か月の仕事と言われてきた仕事である。ところが、最初の仕事はとっくに終わり、次から次へと他の仕事の指示が日本から来るのだ。そして、またまた、指示が来た。ニューキャッスルでの仕事だ。紙面もないことから簡単に記載する。

 ニューキャッスルは、シドニーから高速で2時間くらいの小都市。ここでの約2か月の仕事が終わり、これで日本へ帰れると、工事隊の人達と地元のレストランに入った。弾き語りのおじさんがいて、日本の歌のリクエストに応えてくれた。そして、ワインを飲んで気分よくホテルに向かった。角を曲がればホテルという所で、警察の検問に引っかかった。「ヤバイ!」とは思ったが、窓を開けると、小さな携帯電話位の大きさの吸い口が付いている箱を差し出し、息を吹けという。言われるままにすると、黄色のランプが点いた。どうも、緑、黄色、赤というランプだったようだ。すると、家はどこだという。あのホテルと指さすと、気をつけて行け、と言って解放された。今まで海外に行き、検問にかかったのは、この時が最初で最後だった。そして、ヤバイ!と思ったのには、もう一つ理由があった。免許証不携帯だったのだった。(オーストラリア、終わり)