ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし⑰

 「Good morning!」「How are you?」「Hows doing?」から、工場の朝は始まる。7時45分に工場の玄関前に着き、従業員に挨拶をしながら自分の席に着く。日本でもそうだが、そうした挨拶で相手の心や体の調子を推し量るようなところがあるが、英語だって同じである。相手の返事一つ、顔色・表情一つで色々なことが分かる。ちょっと変だ、と思えば、その上司を捕まえて様子を聞いてみる、というのは、日本でのやり方と何ら変わることはない。

 

社長室撤去 

 そして、自分の席に座り、事務所にいる全員の様子を眺める。事務所には40人近くいたように思う。工場長席は、その一角にあった。工場長時代は、この席で良かったが、当時、社長は2階の社長室にいた。社長にお伺いを立てるには、いちいち2階に上がっていかないといけなかった。逆に、工場長の私は、言動・行動が社長に監視されなくて気が楽だった。

 前任者は、後任の工場長を派遣するよう親会社に要望したようだが、派遣されてこなかった。つまり、今までの工場長と社長の業務を一人でこなすようになった。これは、前にも書いた通り、仕事量として全く問題がなかった。そこで、工場長・社長が兼務になった機会を利用して、2階の社長室を廃止し応接室とした。当時、事務棟には、1階が間接部門の従業員がいる事務室と保健室、更に、検査部門のいる検査課があった。2階は使っていない和室と小さな会議室と大きな会議室が一つずつあった。

 社長室ではなく、社長席である。当然ながら工場長と兼務なので、今まで工場長として座っていた席をそのまま使用した。もちろん、パーテーションなど仕切りは設けなかった。そうしたことで、今まで社長に用事があって2階に上がった人も、同じフロアーの同じ部屋にいることで、何でも筒抜けになり、秘密めいた話などもオープンになった。そうしたことで従業員のみんなも気楽に相談に来れるようになった、と思っている。こうした部屋の作りや席の考え方など、従業員に対しての大きなアピールにもなったと思っている。日本でも同様である。職位があがった時に、別な部屋にする、つまり一般従業員の部屋と違えるということも、時と場合により必要ではあると思っている。しかし、この程度の会社であれば、むしろ、別にしない方が良いと考えた。

 

検査課長就任

  そうこうしているうちに、検査課長が空席になった。誰を課長にするかで社内でいろいろ相談したが、結局、自分でやってみることにした。つまり、社長、工場長、検査課長の兼務である。これは、私にとって非常に役に立った。

 さらに、検査課という現場の課長も兼任したことで、現場の従業員が何を考えどう行動するかがよく見えた。彼らの気持ちや思いも分かった。しかし、検査課長として、毎年あるISO審査や毎月のようにある顧客監査の時は、多忙を極めた。しかし楽しかった。グループごとに何か行事をするときは、検査課の代表にならざるを得ない。他の課はすべてフィリピン人なのにである。また、小集団活動にしても、みんなでアイデアを出し合い、その成果を発表し合った。現場のみんなと心が一つになった。打ち上げで、近くのレストランに行っては飲んだり食べたりもした。習慣も言葉も分からない私を、検査課の人たちは外国人の私をサポートしてくれたり、楽しくもしてくれた。

 

毎日の朝礼

 朝、8時5分からラジオ体操が始まる。このラジオ体操は、前任の社長が会社従業員に根付かせてくれた日本のラジオ体操だった。検査グループの人たちと一緒に飛んだり跳ねたりする。それに続く朝礼。全体朝礼は週1回だったが、検査課の朝礼は毎日あった。ある時、私の挨拶や話が終わり、検査課員の話になった。元々、タガログ語でやっていた朝礼が、私が課長になったことで、英語での朝礼に変わった。それなのに、最初英語で話していたが、突然、タガログ語に変わったのである。どうしたのかと思い、朝礼後、別の課員に聞いたところ、英語で表現しにくい説明はタガログ語でないと説明できないそうだ。誰でも英語が話せると思っていたフィリピン人でも不得手の人がいることが、この時分かった。その後も、こういったことはしょっちゅうあり、英語はフィリピン人にとっては、第二外国語であるということが分かった。

          ( 次回へ 続く・・・)