ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㉗

 これからしばらくは、フィリピンの一般事情について書きたいと思うので、肩の荷を下ろして、読んで頂きたい。内容のいくつかは、拙著”サラマッポ”に書かれているものと重複する。

 

フィリピンのイメージ

 フィリピン=貧困、ジャパゆきさん、暗黒無法地帯、最近では、犯罪者の逃亡先など、黒い色が似合う印象をフィリピンに重ね合わせるという方も多い事だろう。私も、赴任前は、同様の印象を持っていた。というのも、このブログでも先に書いた、最初に出張した時の印象も含め、今回駐在員として赴任する前の度重なる出張の思い出から誘引されている。また、同時に一般の方々は、マスコミなどのニュースから影響を受けている方々も多いことだろうと思う。

 

大きく違う現実

 しかし、現実に赴任し、自力で生活を始めていると、今まで、現実と思っていたことが、大きな誤解であったことに気付いた。「誤解」と言うより、「別の一面」を見ていたのだ。そして、長く生活していた事で、「別の一面」が見えてきたのである。

 出張では短期間の滞在(数か月)であるため、そこまで見えていなかったのだ。5年半の滞在を通して、そういった思いが大きく変わり、大好きな国となっていた。そうなった背景を、私の日常生活を通して順次、書いて行きたいと思う。

 

住居

 日本にいる時と大きく変わったという点では、自炊生活を強いられたということが特に大きい。

 当初、マカテイと言われる首都圏、日本で言えば、つまり都内のコンドミ(既に説明したが、日本で言うマンション)に住んでいた。フィリピンでの日本人の住居は、赴任当初、マカテイ(Makati)かアラバン(Alabang)のコンドミに住むということが一般的で、セキュリテイ上、住むのに安全な場所というのが一番の理由だった。私もそれにならい、最初の1年はマカテイに住んだ。25階建てのコンドミで、最上階の24階に住んだ。不思議に思われるかもしれないが、全てのコンドミが、所謂、最上階、25階は、コンドミビルオーナーが住んでいたため、一般の人が住む最上階と言えば、1階低い階からが賃貸住居となっていた。日本で高層ビルに住んだことが無かったことから、最上階の住み心地を味わいたくて、最上階の24階を選んだ。ちなみに、住居費は、会社持ちだが、7,8万ペソ(約14、15万円)だったと思う。これでも、日本人の住居としては安い住居の方だった。

 こうしたコンドミは、1階にガードマンが1年中、24時間詰めていて、入居者をチェックするシステムになっていたため、安全面上、非常に安心だった訳である。そうした安全もあり、前述の2地区に日本人が集中して住んでいたが、これには、買い物、生活の便利さも理由としてあったものと思う。ちなみに、フィリピン国内のガードマンは、全員ピストル携帯である。

 

マカティ(マニラ首都圏)の状況

 日本食売店は勿論のこと、各国料理のレストランがマカテイには揃っていた。アラバンでも、スーパーモールのようなものがあり、そこには、スーパーマーケット、各種レストラン、映画館、遊園地(ビルの中なので小規模ではあるが)、衣料品店、家具店、工具店、ともかく、何でも揃った。でも、そういった場所への移動では、自転車なら行けそうだが、自転車はおろか徒歩もご法度(日本人同士で規律を作っていた)の場所柄で、常に運転手付きの車での移動となっていた。アラバンは、地方都市であり、5分も車で走れば郊外に出た。一方、マニラは、一国の首都である。何でも揃うが、車で走っても、10分、15分走っても郊外には出られない程の範囲だった。

(次回へ、つづく・・・。文章が長くて、という読者もいるので、1500字以下程度に

                             抑えることにします)