ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㉙

 こうして、最初の(マニラの)コンドミでは、これらを揃え、洗濯や掃除を自分でやった。基本的には、メイドを雇い、メイドに洗濯・掃除・食事作りまでやらせるというのが日本人の駐在員の基本だが、トラブルを避け、5年半の滞在中、半年だけメイドを雇ったが、残り5年は自分で全てやった。メイドとのトラブルがあったからであるが、その話題については、後で述べる。

 

洗濯、アイロンがけ

 洗濯を自分でやる駐在員は少なかったが、理由は簡単で、アイロンかけが嫌でやらないというのが理由だったらしい。私は、全て自分でやった。私の考え方の基本は、「自分で全てまずやってみる」だった。そうしないと、やっている人の大変さや何がコツなのかが分からない。この「コツ」が、人と話した時に、「話のタネ」になり、何度も相手の興味を引いたり、話を長く続けることが出来る。資材時代に、取引先相手に話が長い間出来たのも、この考え方があったからだった。

また、洗濯やアイロンがけは、結構、他の事を考えながら、出来る作業なのである。さて、今日は何をやろうか、朝礼で何を話し、何を指示しようか、あのトラブルをどう解決しようか、などなど、この作業中に考えたことは一杯あったし、アイデアも沢山出た。また、ストレス解消にはもってこいの作業だった。洗濯ものを全て干し終わった時の爽快感、アイロンを全て掛け終わって、ハンガーに掛け、洋服ダンスに並べた時の達成感は格別だった。

 

食材探し

 朝食準備。必ず、味噌汁は作った。フィリピンでは、食材の質を問わなければ、日本同様とまではいかないものの、結構何でも揃う。大根(しわしわで細く短い)、ニンジン(大根同様)、ネギ(細く短い)、玉ねぎ(小さい)、キャベツ、モヤシ(細く長い)、葉っぱ類(特に中国野菜の空芯菜と言われるもの)も同様に、見るからに新鮮ではなく、萎れた野菜の中から良いものだけを選別した。これらが一番安いのは、①一般庶民というより、貧困層が出入りする市場。次は、②日本で言うデパートの地下街。一番高いのは、③日本食店や外国人層を対象にした、食材店。①、②、③と質が上がって来るのは当然である。出張者にフィリピンの現状を分かってもらうために、この①や②に案内し、我々の生活を理解して頂く努力をしたものである。理由は簡単、出張してくる駐在員の上司に、駐在員の奥様の苦労やフィリピンでの生活の大変さを分かって頂くためである。

 

食事の準備

 こうした具材を使って食事を作った。朝食は、納豆、生卵、海苔、各種瓶詰、缶詰、などなどが多かったが、後半の3年位は弁当作りもしたので、弁当に入れる残り物を朝食で食べたりもした。弁当のおかずには、毎朝、煮物や焼き物などを調理して入れるのを基本とし、殆ど、出来あい、冷凍食品は使わなかった。冷凍食品代わりに前もって自分で作り、冷凍にしておいた。キンピラ、切干大根、ヒジキなども前もって調理して冷凍しておき、おかずに使った。出し巻き卵などは朝調理した。調理、朝食、弁当作りに1時間は掛かった。ご飯は、1食分毎にラップで包み、冷凍しておいた。朝ご飯を炊くということは殆どなく、休日に炊き、冷凍しておいたのである。この手法は、日本へ帰ってきた今でも実践している。

 

 次回は、弁当作りをしていた訳を中心に書きたい。(次回につづく・・・)