ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㉚

 もう15年も前の話になる。フィリピンへで単身赴任となった。そこでの出来事を綴っている。フィリピンという国は、”怖い国”というイメージがある一方で、住んでみると非常に居心地のいい国である。その理由は、フィリピン人が、かって日本人が持っていた家族主義のような考え方をするからだと気づかされた。

 フィリピン物語、スタート、スタート!

 

弁当作りの理由

 弁当作りには訳があった。当時、77kgから80kg程度まで体重が増え、なかなか減ることがなかった。昼食は、当時会社のある工業団地内にある日本食レストランで食べるか、そこで作っている弁当を配達してもらうかして、それを食べていた。しかし、量が多いこと、その割に高い(400ペソから500ペソ=千円程度)ことから、体重を減らすことも含め、現地の人が食べるレストランで麺類なども食べてみた。しかし、味が今一つだった。そこで、それまでに「料理作りの楽しさ」が分かってきたことから、弁当作りを始めたのである。これが、ストレス解消に抜群の効果だった。料理作りをすることで話題も出来る、交流も出来る、一石二鳥、三鳥だった。それなりの料理が出来るようになったことから、取引先の社長や当社日本人社員をお呼びして、私の住居のコンドミで食事会を催したり、更には、会社のローカルのマネージャー達を招待しての食事会までも催した。日本食を作り御馳走するのである。日本食が大好きなフィリピン人が感激しない訳が無い。人心掌握術の一つに料理を使った。

 会社へ弁当を持って行って食べだした頃、近くにいるフィリピン従業員が物珍しそうに弁当を覗きに来た。買い食いしかしないフィリピン人だからびっくりしたのだろう。しかし、スーパーマーケットに行くと、ちゃんと数種類の弁当箱が売られていたので、決して弁当を作らない人ばかりではなかったと思われる。

 

仲間との団欒、夕食

 夕食は、若い従業員とのコミュニケーションの場であり、取引先、グループ会社、顧客などとの交流・接待の場でもあった。ともかく、土、日を除いて、殆どが外食だった。家族持ち駐在員が増えた後半の2年は、彼らの家庭団欒を考え、週1.2回程度の外食のお誘いに減ったが、最初の3年間、週4回は、これらの人達と外食を囲んで歓談した。今でも、この時の楽しい思い出が鮮明に残っている。 

 外食の場合、1回の食事に、千ペソから二千ペソ(三千円から五千円位)位かかったが、日本人の夕食としては、フィリピンでは通常の食事であり、何よりも、この夕食が、単身赴任者の憩いの場であり、ストレス解消であり、コミュニケーションの場であり、海外での仲間意識の醸成の場でもあった。当社の日本人駐在員達とも割り勘(多少、職位で傾斜は付けたが)であったが、取引先、顧客なども基本は、割り勘だった。お互いにそうしたお付き合いをさせて頂いた。

 

会食

 外食と言えば、接待の食事(会食)も何度も経験した。工場から部長クラスが来比した場合、役員の場合などは、相手により食べる場所が変わった。役員以上の会食では、役員が支払いをしてくれた。勿論、親会社持ちである。

 顧客外国人相手の会食では、言葉の問題もあり非常に大変だった。それでも、アジア人相手の場合は、英語がそれ程お互いに得意でない事もあり、それ程苦労はしなかったが、米国人相手の会食では、話題を何にするかも含め、結構冷や汗ものだった記憶がある。

      (次回は、フィリピンのゴルフについて、・・・つづく・・・)