ミドさんのブログ

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世界おもしろ昔のはなし㊲

顧客との価格交渉

 具体的に、約一年半後の二〇〇六年10月末の撤退が決まり、二〇〇五年の顧客との売値交渉では、今までの契約金額を一銭も引かず、二〇〇六年の撤退まで、契約金額を凍結する対策を取った。以後納入しない訳だから、「すぐ製造を止めてもよい」いう強気の姿勢が貫けた。毎年引かされていた契約金額を引かなくて済み、赤字を黒字に変える事が出来、利益を確保できたのだった。

 

社内外への秘密厳守

  一年前の二〇〇五年8月には、価格交渉の関係もあることから、営業など一部の人には、この決定を知らせる必要があったが、あくまで、社内的にも、勿論社外に対しては、極秘で進められることになった。顧客にももちろん秘密裏に進んだ。

 私の決断、具申を聞いてくれた、当時の会社幹部には、改めて感謝申し上げたい。決定が1年でも遅れたら、こんな利益は確保できなかったし、従業員にも満足な事をさせてあげられなかったかも知れなかった。そういった意味でも、本当に、良いタイミングだった、と我ながらに今でも思うのである。 

 極秘、秘密裏、と書いたが、通常の撤退であれば、ここまで徹底することも無かったが、これには訳があった。「極秘」、これが撤退のキーワードであった。二〇〇五年8月には、極一部の人間のみが知ってはいたが、それまでの社内の行事や通常の作業計画、長期投資計画なども、社員、取引会社との関係においても、今まで通り何事も無かったかのように進めた。でもそれは、「表面的には」、という言葉が隠されていた。所謂「水面下」では、着々と撤退の準備が、1年半に亘り、連日進んでいたのである。

 

極秘の理由

 フィリピン経済は、長い間低迷が続いており、慢性的な不況で、失業している人が沢山おり、社員募集するものなら、連日沢山の人が列をなす程集まった。「フィリピン生活」の項でも述べるが、一般家庭では、一家庭で一人定職を持っていれば、それが普通であり、誰も定職を持たない家庭などワンサカあった。従って、当社の従業員は、定職を持ち、夫婦で働いているものなどもおり、普通以上の生活が出来ていた。

そうした中で、一旦職を失えば、職にありつくのが大変で、そのまま一家貧困に喘ぐということすらあるから、従業員は、色々な苦情・不満は言うものの、何とか定年まで働き続けるというのが、本人のみならず、家族の願いでもあったのである。

 

事業撤退=従業員の貧困

 「会社の事業撤退」=「従業員の失職」=「従業員家族の困窮」を意味し、従業員本人・家族共々、人生最大の問題となる。そんなことから、フィリピンでは、事業撤退した日系企業の総務関係者が、元従業員やその家族に射殺されるというような事件が頻発していたのである。当社で、電線事業から撤退することは、従業員の失職を意味し、家族が路頭に迷うことになるのである。撤退計画が事前に分かることは、彼らは、職探しに奔走し、旨く職が見つかれば、有能な従業員も含め、撤退前に辞めて行くのである。

 それだけなら未だしも、職が見つからなければ、失職予定の従業員や家族から、日本人や総務関係者が殺傷されることすら考えられた。そうしたことから、この計画は、決定から実施まで約1年半、極秘に進められたのである。

               (つづく、・・・)