ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㊴

突然始まる、車の窓ふき

    忘れそうなので、覚えているうちに書いておく。フィリピンで、日常生活でビックリすることには何度もあったが、その内の一つである。パキスタンの空港では、何も言わないのに、到着ロビーで子供たちが集まってきて、私の荷物を持ってタクシー乗り場まで運んでしまった話は前に書いた。同じ子供でも、それとは少し違う話である。

 日本人は、フィリピンでは車の運転は禁止されていた。事故でも起きると扱いを間違うと命にかかわることにまで発展しかねないという経験則から来たのだろう。漫然と車の後尾座席に座り、外を眺める。それにしても人が多い。日本の人口は1億3千万くらいだが、フィリピンはここ数年でそれを追い越すと言われている。

 目の前の信号が変わり車が止まった。すると、子どもが近寄ってくる。突然、フロントガラスを頼みもしないのに拭き出すのだ。自分が車を運転していたらびっくりするだろうが、私の運転手はビックリもせずにそれを眺めている。そして、信号が変わりそうになると、運転席の窓ガラスをちょっと下げ、チップを渡すのである。この光景は、マニラ市内ではしょっちゅう見かけたものだった。この風習というか決まり事みたいなことは何だろうと思い、ドライバーに聞いたり、フィリピンの歴史をひも解いたりして、分かったことがある。

 

フィリピン人の生い立ち

 フィリピン人には、お金持ちと思われる人が貧乏な人にお金を分け与えるのは当然という考え方がある。しかも、「ありがとう」と言って受け取るのではなく、「黙って」受け取るのである。感謝でもなければ、慈善でもないのだ。つまり貧乏な人の「当然の権利」という考え方なのである。だから、お礼も言わない。お金をあげない人は、「常識知らず」なのである。高給どりではないドライバーも、「当然」窓を開け、何がしかのチップを渡す。

 別の項でも書くが、何人かで食事に行き、一人その中で傑出したお金持ちが居れば、その人が払うのが当たり前であり、「ご馳走になる」のではないのである。日本なら、さしずめ、「ご馳走になりました。毎回、ありがとうございます」なんて、お礼を言う場面である。しかし、ここは違う。当然であり、常識なのだ。こういった考え方は、フィリピンという国の生い立ちが作り上げたものという気がしてならない。イスラム、スペイン、アメリカ、日本と他国に統治され続けてきた国であり、だんな様に仕えるのが当然、そして、だんな様は面倒を見るのが当然、という考え方である。

 この考え方が、裏返すと、自尊心の強さになる。日本人風に言えば、「あんな奴らに、馬鹿にされてたまる(っ)か!」である。そして、良くも悪くもアメリカ文化が入り、拳銃の所持が認められた。弱い者は「飛び道具」である。それでなくてもフィリピン人は人種的に小柄な体形をしている。腕力では敵わない。勢い、殺傷事件に発展するのだ。結果、フィリピンは危険な国、ということになるのである。

 

相手の立場を尊重する

 「車の窓ふき子ども」から「危険な国、フィリピン」までの論理的な説明をしたが、もとを質せば、「相手の立場を尊重する」という基本的な考え方がしっかりしていれば、極めて住みやすい国なのである。変に威張ったり、自分が小金を持っている程度でお金持ちをひけらかしたりしない人間には、住みやすいのだ。フィリピン人は、家族思い、人間大好き、朗らかで、ワイワイガヤガヤ大好き、そして、くよくよしない国民である。お金を持っていたら、一生をフィリピンで過ごしたいという人の気持ちも分かろうというもの。でも、若い女性にほだされて人生を破滅させる輩もいるので、自分を見失わないように気を付けるのが肝心だということは、言っておきたい。

               (つづく、・・・)