ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㊺

ドバイ景気の波

 事業縮小から、従業員の心のケア―を、親会社の幹部にも来社頂いたりして、物心両面に亘り、色々と対策を取っていた。しかしそれでも数少ないエンジニアが次々と辞めて行った。作業者は幾らでも集まったが、エンジニア、しかも、優秀なエンジニアとなると、なかなか集まらなかった。しかも悪い事に、ドバイ景気が出始め、最盛期に掛る時であった。フィリピン人はこぞって高給を目指し、出稼ぎの気運が国全体で高まっていた。マニラにあるアラブ首長国連邦の大使館前には、連日ビザ発給を求める人達が長い列を作っていた。

 

更に続く、コールセンター進出

 そして、それから暫くすると、コールセンターの進出だった。世界のあちこちにコールセンターが出来た。フィリピンもその有望な国の一つだった。それは、フィリピンという国が、緯度的に米国の夜間対策の一つに出来る位置にあった。米国が夜の間、フィリピンは昼間になるのである。そして、フィリピン人は英語が出来た。ただ、フィリピン英語ではダメで、標準語の英語を話せないといけないらしく、面接で結構落とされたようだったが、何せ給与が良かった。英語が話せれば良い訳だから、エンジニアや事務の大学卒のスタッフなどは、沢山トライしていたようだった。

 

フィリピンの大学就学率

 話は横道にそれるが、フィリピン人の大学就学率は結構高い。定職に就くためには、しかも、海外で働くためには、大学卒、という称号が必要なため、家族で優秀な子供は、家族・親戚で資金応援をして大学に行かせた。従って、エンジニアや事務スタッフは、一部現場上がりのスタッフを除き、全てが大学卒だったのである。

 従って、こういった世の中の風潮には、優秀な従業員や野心を持っている従業員は全て有資格者だったのである。

 

ユージンの退職希望

 そんな時、残ったメイン事業の若きエース、ユージンが辞めたいと言い出したのだ。ユージンは、日本の工場にも何度も実習に出張し、今や、マネージャーの有力候補であった。また、同時に、社内でも他の従業員に人気のある仁徳者でもあった。

 会社では、クリスマスパーテイ始め種々の行事には、独身ではあったが、率先して参加し、フィリピン人従業員のリーダー役を務めた。また、業務改革にも積極的で、彼は、ブレーキホースを担当していたが、現場では、どんどん作業改革が進んだ。そして、SGA(Small Group Activity)の社内発表では、優勝の常連者でもあった。性格も、日本人のような性格で、正に、模範生従業員であったのである。そのユージンが辞めたいと言い出したのだ。

 

ユージンのやりたいこと 

 本人とも一対一の対話も持った。要は、欧米企業の先端分野の製品を扱っている会社に行きたいということだった。また、その会社は、売上にリンクした給与配分をする会社でやり甲斐もあるとの説明であった。彼は、社内に彼女がおり、何とか結婚資金を貯め、早く結婚したいとの願望もあり、そういった色々の感情からの結論のようだった。話は聞いたが、私は、その一つ一つの理由に反論を加え、暫く放っておいた。

 それから、1、2週間経ったろうか。マネージャーが承認のサインをした退職届を私の所へ本人が持ってきた。本人との一対一の話の時にも言っておいたが、君の退職願いにはサインをしない、と再度私の意向を伝えた。同時に、マネージャーを呼んで、彼らの意向を確かめた。彼らも辞めさせたくはないが、どうしてもユージンが言って聞かないので止むなくサインをしたとのことである。理由はどうしても最先端技術の事をしてみたいとの意向のようだとのことであった。

 

最先端技術へのあこがれ

 ユージンを呼んで説得をした。最先端技術の何がしたいのか確認した。どうも、最先端分野の製品を作れば、最先端技術に触れられると勘違いしているようだった。製造技術というのは、製造技術あって、最先端製品の技術と違う事を説明し、製造技術は何処へ行っても同じで、それなら、会社に残って製造技術を極めたらどうか、と話してみた。しかし、当方の意向に乗って来なかった。終いには、苦し紛れか方便か、当社が嫌な訳ではないが、違う会社で働きたいという話しに変わった。

 そこで、「退職届にはサインしない」という方法をとった。

     (つづく、・・・)