ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

郵便局100周年記念

南中郷郵便局開局100周年

 小さな小物が食卓の上にのっていた。ふと見ると、「南中郷郵便局開局100周年記念」の文字。そうか、大袈裟に言えば、郵便局と共に70数年経ったんだ。なぜ? 私の家は、その郵便局の前にあり、小売店を営んでいました。

 

郵便局との縁

 小売店には、郵便局は大変ありがたい存在だった。銀行もあまりない地方において、郵便局は、田舎住民にとっては唯一の金融機関であり、訪問する住民も多くありました。そのお客が、向かいにある小売店である我が家を訪問し、色々なものを買って行ってくれました。

 

住所代わり

 また、小売店として、広告を作るときにも、景品のマッチ箱を作るときにも、そして店の名入れ包装紙に住所を書き込むときにも、「南中郷郵便局前」の文字が常にありました。そして、学校で、家の場所を聞かれた時にも「南中郷郵便局前」と言えば事が済んだのです。普通、「駅を降りて、右に曲がって、二つ目の交差点を右に曲がり・・・」などと自分の家の住所を言うものですが、私の場合は、全て「○○郵便局前」と言えば済み、簡単で明瞭で、こんな便利な存在はなかったのです。

 

テレビの鑑賞場所

 そして、郵便局長と言えば、地域の名士であったわけで、そういった意味でも重宝でした。昔の地方の郵便局では、事務所と局長の家(個人住宅)が同じ棟続きというのは良くあったことで、南中郷郵便局の場合も例外ではなく、局長宅と一緒、つまり、私の家と局長さんの家とは向い合せ、すなわち ”お隣さん” だった訳です。

 局長さんの家には、私の家より大分早くテレビが入りました。夕方、大相撲が始まると近くで遊んでいた子供たちが、局長さんの家の座敷前に陣取り、座敷の奥にあったテレビに釘付けになります。丁度、栃錦若乃花の栃若時代の頃です。子供たちが、わあわあ言いながら、テレビ観戦をしていたのを思い出します。局長さんの奥さんが座敷の障子を開け放ち、子どもたちみんなが見えるようにしてくれたのです。

 

電話呼び出し

 郵便局の窓口の人たちとは常に ”・・・さん” と呼び合う間柄だったのです。お隣さんですから当然です。郵便担当の方と貯金担当の方、そして局長さんの3人体制でした。郵便局の前には、赤いポストが立っていました。そして電話機が事務所の左手前にありました。昔は、各家庭に電話がなかった時代ですので、遠くから電話のない家庭に電話をかけてくる場合、”呼び出し” という制度があったのです。郵便局にかかってきた電話が ”××さん”宛ての場合、ご近所の ”××さん” を呼びに行ったのです。それも、郵便局の人でなく、近くにいる人に頼んで呼びに行ってもらっていたという記憶があります。こんな、のどかな時代だったのです。

 

かっての局舎

 今でも、「新しい郵便局になるんだって!」という話があったのが、今から50年も前の話。今の局舎は、私の会社員生活(田舎にはいなかった)と共にあるので、余り思い出がないせいか、50年も経っていたんだ、という心境です。

 かっての局舎(60年~70年前)は、今でも明瞭によく覚えています。昭和初期の建物だったのだろうか。2階建てにしてもおかしくないような背の高い平屋だった。真正面に二つの窓口があり、左側に呼び出し電話があった。中は木製床張りで、左中央に郵便の仕分け棚があったように記憶する。そして、個人住宅と棟続きだったからか、建屋の南側敷地内にはブドウ棚があり、更に、南側には小さな畑(家庭菜園)もあった。絵が上手なら絵をかいて残しておきたいほどである。

 

 色々な思い出の残る「南中郷郵便局」であるが、100年も経ったとは、「本当に長い間ご苦労様」である。

            (つづく、・・・)