ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

長男と御巣鷹山日航機事故

自分のブログって、どうネットで見える?

 自分のブログをネットで調べてみようと思って、「ミドさんのブログ」と入れて検索してみた。すると、同じ名前のブログがあることに気づいた。でも、2015年位の記事らしく、私とは全く関係ない人のブログだった。

 今、私は、毎日気付いたことを書く記事と、昔、海外に行った時に体験した色々なことを記事と、この二つをメインにして書いているが、ネットに上がるのは、毎日気付いたことだけのようだ。タイトルが変った方が載りやすいということか。

 さて、ネットの話はそれくらいにして、今日の記事に入る。

 

孫と遊ぶ息子(長男)

 長男の嫁がフェースブックに写真を投稿した。そこに映る孫と遊ぶ長男の姿・声。その記事によると、孫の誕生日パーティの様子を投稿してくれたようだ。ろうそくを一生懸命に吹き消す孫の姿、その消し方を教える息子夫婦。その他にも色々と、時々投稿してくれるので、様子が分かり大変ありがたいし、安心でもある。便利な世の中になったものである。その様子を見ていて思い出したことがある。

 

母校が甲子園に

 36年前の1985年の話である。私の高校の母校(日立一校)が、しばらくぶりに甲子園に出場することになったのである。そして、その応援に地元企業として会社で応援バスを出すという。試合は8月13日だったが、日立から甲子園まで夜通し走って翌朝着くために、12日の夜会社を出発するという。その頃小学生高学年になっていた長男を連れて行ってみようと思いたった。母校にそんなに思い入れがあったわけでも、野球に思い入れがあったわけでもなく、長男に、徹夜でバスに乗るということ、そして、甲子園という所で野球応援に参加させるということを経験させたかったのである。

 そして、翌朝(8月13日朝7時)甲子園に着いた。バス搭載のテレビが点いた。すると、大騒ぎしている様子が映し出された。それが、御巣鷹山の航空機事故だったのである。以下、事故の様子などを、ネットを調べながら、思い出しながら書いてみる。

 

御巣鷹山日航機事故

 大分古くなった。36年前の今日1985年8月12日である。現在73歳の私が、その半分の年齢の頃である。乗客・乗員524名を乗せた日航ジャンボ機123便が、その日の夜7時前に、群馬県御巣鷹山(実際は、別な山名があるらしい)に墜落した。そして、520名が亡くなり、4名が生存という日本で起きた大航空機事故だった。その当時報道されたことで記憶に残っていることは数少ないが、それでも、生存者が自衛隊員に抱えられ、ヘリコプターで吊り下げられ救助される写真は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

事故の原因

 改めて、事故の様子をネットで調べてみると、それまで記憶になかったことが、蘇ったり、知らなかったことが分かったりした。その中の一つが事故原因である。事故から7年前の1978年6月、伊丹空港でこの機体がしりもち事故を起こしたことがあるそうで、事故後事故原因を検証する中で、その当時の修理跡を見て、修理が不完全であったことが分かり、修理したボーイング社も修理ミスを認めるという事態になったそうだ。

 

生存者のその後

 一番気になったのが生存者の動向である。生存者4人は、母・娘、12歳の少女、そして非番だった日航の乗務員だった。全員が元気に暮らしているそうである。非番だった乗務員は、その後も日航社員であり続け、59歳で定年退職して、元気に暮らしているそうである。また、一番気になった、写真に載った12歳の少女は、その後、スキューバダイビングの関係でアメリカにわたり、そこで知り合い国際結婚をして、現在では子供もおり元気に過ごしているそうである。この事故の関係で、何かあったかと思ったが、皆さん何事もなく普通に暮らしていることで、なぜか、ホッとした。

 亡くなった方にはご冥福をお祈りしたいと思う。

         (つづく、・・・)