ミドさんのブログ

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新盆参り

新盆(にいぼん)参り

 新盆参り、「しんぼん」とも「にいぼん」とも言うらしいが、この辺では、8月12日にするのが一般的で、「にいぼんまいり」と言っている。一応、お盆は、8月12日から15日なので、その間に各家庭に戻ってくる霊にお参りする訳だから、3日間あるが、その家の家族団らんに支障があっても、という配慮から、最初の日にお参りを済ますことが多くなっている。

 

新盆参りの拒否

 ところが、最近、お葬式が省略になっている例が多い。もちろん、家族葬という形でお葬式は済ませる訳だが、一般の会葬をご遠慮いただく例が多くなってきたのである。亡くなったこと自体を知らせない場合、亡くなったことは知らせるが、家族葬であることを公開する場合などである。こうして、会葬の場合ははっきりする訳だが、新盆となると、明確でない。新盆参りをしたらいいのかどうか分からないのである。目印としてこの地域では、灯篭に扮した木製の灯篭を臨時にお盆の期間中だけ灯すのである。灯しているところは新盆をする、灯さなければ、家族だけでするという具合にである。非常にややこしい時代になったものである。

 

親しかった故人宅への新盆参り 

 そうは言っても、あんなに良くしてくれたのに、あんなに色々と一緒にやったのに、などと個人的に深いかかわりがあった故人への新盆参りには困った。灯篭もない、お葬式もやらなかった、そうした故人宅への新盆参りである。そうしたことは、跡を取る息子さんなどの家族の意向で決まるわけだが、どうしても、お参りしておきたいと思うお宅があった。ご近所さんである。思い切って、「お盆のお線香だけでも上げさせてください」とお邪魔してみた。普段は、跡取りの息子さんとは全くお話しさえしたこともない方だった。年齢が離れていること、相手も当方も長く実家を離れていたことから接点がなかったのである。

 

余命3日の宣告

 故人の亡くなった経緯などは、お葬式などで、色々な方に聞いたりして、おおよそのことは分かる訳だが、お葬式がないとなると、喪主である息子さんにも聞くことが出来ないこともあって、直前の状況が分からないものである。故人は数か月前まで、家の前の草花を手入れしたり、道端の草を取ったりと、いつも外に出て色々と作業をしている人だった。しばらく見かけないなーと思っていた。

 息子さんが話し始めた。謎が解けた。

 体の調子が悪くなり、近所の病院に入院することになった。しかし、原因が分からなかったが、骨粗しょう症が原因と分かった。そこで、家に戻ってきてもジッとしている人でないことから、短期老人福祉施設に入れた。そこで数か月いるとまた、調子が悪くなり元の病院に戻った。すると、そこで、余命3日と宣告されたそうである。

 

亡くなる直前まで元気だった故人

 それから、亡くなる直前まで、お話もして、極端な痛がりもせず、息を引き取ったそうであるが、病名が、94歳という高齢であるから、普通なら「老衰」となるのだろうが、経緯が経緯だったせいか、「多臓器不全」ということだったらしい。つまり、臓器が全て正常に機能しなくなったということである。なぜ?と思ったが、ここで、息子さんが説明してくれた。歳を取ると、全ての反応が鈍くなるのだそうで、どこかが悪くてもその反応が出にくくなり、何事もないように過ごしていても、体内では「不全」の現象がどんどん進んでいるということらしい。

 

臓器不全の前兆?

 そういえばと合点がいくことが最近多い。70歳を過ぎて、体に色々な支障が出てきた。腹筋をはじめ筋肉の衰え、疲れやすい、体力がなくなる、お酒がたくさん飲みたくない、食が細いなどから始まり、最近薬が少なくなったのも、こうした体の反応の遅れでは?と考えるようになった。もちろん、物忘れというのも脳という臓器の不全だろう。このブログを書きながら考える。長生きしたけりゃー、体に悪いということをはじめ、無理をしないことだなーと。でも、最近は、やりたいことをして、もし命が縮まってもいいや、と考えるようになったのも確かである。

 「多臓器不全」の現象は、この故人の置き土産だと思って、注意しようと思った。

       (つづく、・・・)