ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(52)

人事制度の話をもう少し。

 

職位のランク作成

 規程上地位のランク(SVとかマネージャーとかという職位)が低いとか高いとか言っても、急に上げたりも出来なければ、ましてや下げることなど不可能である。給与レベルだって同じである。給与を上げる事は出来ても、下げる事は一度にはできないから、少し上げる人と沢山上げる人を作り2年後に調整して完成させていったのである。

 作業者とスタッフに分けた職位の呼び名やランクを作った。そして昇格ルールを作った。ここでは、発奮すれば、急にランクアップ出来る制度も設けた。日本の親会社の人事はこれがない。そして、作業者からスタッフへの職位変更ルールも作った。

 また、給与の各職位の最低賃金、最高賃金を定めた。これもルール化した。 そうして、これら全てを社内規則として定めたのである。

 

社内昇格ルール

 また、昇格会議、給与会議も実施した。今までの人事に関する、社長・総務部長の権限を分割し、各フィリピン人部長に委譲した。こうすることで、各部長の意見をスタッフ、作業員が良く聞くようになり、統制が取れ出したのである。何か部長に指示すれば、社長が直接現場組長(Line Leader)に指示しなくても、即座に改善が出来たし、その結果も、部長に聞けば現状が分かるようになった。また、それに返答できない部長は、査定で明記し、本人がなぜ査定が悪いか分かるようにもした。

 

従業員を全マネージャーで査定

 どこでもやっていることだが、全作業者・スタッフの昇格させたい人間を昇格時期に各マネージャーから出させた。そうして出てきた従業員をマネージャー全員の前で現在の職位・給与そして昇格させるとどうなるかの資料を作り、発表するのである。当初1,2年、この資料は、総務担当として来ていた日本人と私で作成した。やがて、新しい総務マネージャーが入社して来て、彼女にこれを引き継いだ。この総務担当日本人が帰国した事と、新任の総務マネージャーにもそれをできる能力があったからだった。残念ながら、算数に弱いフィリピン人の典型である前任の総務マネージャーには、この資料作りには不向きだった。それも引き金になって、それまで、こうした細かな管理が出来ていなかったのである。

 

新人事制度の発表

 それまで、職位が上なのに給与が少ないとか、他部門との間で職位が同じなのに給与が大きく違うとかの問題も、2年の間従業員には我慢してもらい修正した。勿論、こうした人事制度を作っている事は、全従業員には発表し説明もした。

 

査定権者の明確化 

 また、査定権者も明確にした。組長以外の作業者の査定は、製造マネージャー権限とし。報告義務だけ残した。またスタッフについてもSV昇格権利者以上を社長決裁とし、それ以外は、マネージャー決裁、社長への報告とした。このようなルールも社内規定として明文化し残した。

 

人事に関する不満解消 

 ともかく、新総務マネージャーとも議論し、人事についてルール化していった。骨組は、2年程度で出来たように記憶するが、細かな修正は、私が帰任するまで続いた。

 こうして、従業員スタッフとの一対一の面接でも、前に上げたような人事上のクレームは出なくなった。ただ、一方で相変わらず、給与を少しでも多くもらいたいことから、ランクを上げてくれ、給与を上げてくれの希望は続いた。

 

迎える10周年記念式典と帰任時期

 人事関係規定は、ほぼ出来上がった。親会社で人事関係に携わったことはなかったが、自分なりに、人事制度に興味があったせいか、自分なりの考えを盛り込むことが出来たと思っている。

  そして、この年、二〇〇八年三月には、60歳の定年を迎え、帰任することになっていた。前年、即ち二〇〇七年の八月頃だったと思う。管掌役員には、「来年の3月には、定年ですので、後任者を見つけて下さいね」と念を押しておいた。

 それというのも、二〇〇八年には会社の10周年を迎えることになっており、これを誰が仕切るかが問題になっていたのである。 

         (つづく、・・・)