ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(53)

 定年なる前の年、上司の役員に「定年通りに会社を辞めさせてもらう」ことを約束していた。まだ元気なうちに、やっておきたいことが沢山あったからだった。

 そして、いよいよ定年の年(二〇〇八年)になった。

 

上司との約束事

 会社内での約束違反は良くあった。上司も雇われ社員であるから、自分の思い通りにならないのである。古くからこのブログを見ていただいている方はご存知だと思うが、大分前の話題で、、、

 長男が生まれて間もなくオーストラリアに3か月の出張が決まった。10月出張して年内帰国が約束だったが、出張後、別件、別件と2件も追加され、結局、3か月の出張が8か月に及んだ。。。

 そうなることを避けたかったので、上司に前もって話して約束しておいたのである。

 

管掌役員のことば

 この年(二〇〇八年)に入り、管掌役員が、何かの理由で出張してきた。工場視察、業績説明など聞いて頂き、空港へお送りする帰途、小さな日本食レストランで役員と向かい合わせで、早いお昼を取った。飛行機に乗る2、3時間前である。

 二泊三日程の滞在だったが、それまで全く話題にしていなかっただが、突然、「もう一年社長をやって貰えませんか」と言うのである。給与も既に計算されているらしく、「給与は殆ど変わりませんから」と言う。「それは約束が違うのではないですか。後任を見つけて下さいね、と言っておいたでしょう」と答えた。ただ、そうは言っても、親会社のやり方を知っていたので、「やっぱり」と思った事も確かである。

 

やっぱりあった約束違反

 ただ、本当に人材が見つからないなら1年延長も仕方ないと思ったが、当時横行していた、「思いやり人事」、即ち、すぐに辞めても定職がないだろうから、もう少し、やらせてあげよう、というような配慮はご免だった。従って、配慮は大変有難く受けるが、もし、「思いやり人事」であれば、お断り申し上げたい意向を伝えた所、やはり、旨い人が見つからないということだったので、お受けすることにしたのである。しかしながら、来年も又同様になる懸念はあった。この管掌役員には、一応、「来年は、ダメですからね」と念を押した。

 

10周年記念行事

 そんな1年定年延長の話があって、10周年記念行事は私が取り仕切ることになった。さて、10周年記念行事の話に戻ろう。

 基本的に、記念行事は二度やることにした。一度は、社内一般従業員向け、そして、もう一度は、社外の方と10年勤続社員向けの二回に分けて実施することにした。

 そして、一般社員向けは、従業員の中から10周年記念行事実行委員会を作り、彼ら自身で企画立案させた。勿論、予算を示し、その範囲内でさせるのである。

 社外向けは、それなりの体面も保つ必要もあるので、マネージャーや日本人スタッフと知恵を絞り企画立案した。日本へ規模の問い合わせをすると、時節柄控えめにという事でもあったので、予算も少なくし、出来るだけ手作りの記念行事とした。この頃から、フィリピンでも、各社の10周年記念行事が多くなってきてはいたが、その一方でかっての派手なパーテイはなくなってきていたので、日本側の判断も適切であった。

 

盛り上がった記念パーティ

 フィリピンへの日系企業進出は、一九九〇年代後半に進出した会社が多く、沢山の企業の10周年記念パーテイが行われ、私も会社の代表として、そういったパーテイには出席していた。そうした中で、顧客筋、取引先などを重視したパーテイもあったが、10年勤続者の従業員を重視したパーテイもあった。私は、10年勤続者を中心にした手作りパーテイをする事にし、顧客筋や取引先筋は出来るだけ絞った。日本からは、副社長に来て頂いた。挨拶は、親会社側から、副社長にご挨拶頂き、更に来賓代表として、会社設立当初からお世話になっている弁護士の方にお願いした。

 本当に楽しいパーテイになった。こじんまりとして、手作りで、皆が楽しめるパーテイになった。最後は、副社長まで10年勤続従業員と一緒に踊りだすほど盛り上がったパーテイだった。創業当初の規模より、一部事業撤退により、小さくはなったが、従業員との結束、絆は強くなった事を確信した。同時に、前任社長、創業当時の役員に感謝したのは言うまでもない。

     (つづく、・・・)