ミドさんのブログ

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コンビニエンスストアー

コンビニエンスストア

 今や、コンビニは日本人の生活に欠かせないものになっている。しかし、我々のような年金生活者にとっては、ほとんど利用しない店にもなっている。もっとも利用しないのは私だけかもしれない。理由は簡単。同じ製品でも高いからである。でも、現役時代、定年まではおおいに使った。のどが渇いたと言ってはドリンクを買い、夜お腹が空いたと言ってはおでんを買うといった生活だった。

 

コンビニの歴史

 コンビニの歴史は、1960年代からだそうだが、今の大手コンビニチェーン店が1号店を日本に開いたのは1970年代初頭のようであり、それぞれのグループが日本でコンビニ1号店を自称している。そんな中、セブンイレブンの1号店の話が、昨日テレビで放映された。

 ”プロジェクトX” というよく見る番組であるが、簡単にあらすじを書いておく。セブンイレブンでは、コンビニを立ち上げたいとプロジェクト組んで取り組んでいた。コンビニと言えばアメリカということで、アメリカのコンビニ会社に助言をもらって、いつでも開店できる準備は整えていたが、眼鏡に合う場所が見当たらず困っていた時に、東京江東区の酒屋さんからコンビニをやりたいという話が舞い込んだ。そこで、立地条件に多少難点はあったが、ここと決め、準備、開店したのが 1974年5月15日、日本におけるセブン-イレブンの1号店だそうである。その後、色々1号店ゆえの問題が起こり、改善に次ぐ改善を重ね、今のようなチェーン店の展開になったということのようだ。

 

教えを請うたアメリカのコンビニを救う

 その後、教えを請うたアメリカのコンビニエンス会社が倒産の危機に瀕し、今度は日本式のコンビニ経営をアメリカに持ち込み立て直しを図ったそうだ。当時のプロジェクトに関係した人たちは、セブンアイホールデングの会長・副会長におさまっている。コンビニの別の愛称としてセブンイレブンもある。

 

日本のコンビニ1号店

 1号店となった酒屋の店主は、仕入れ単位が大きく、売れ切れになってもなかなか追加仕入れが出来ず苦労した。そうしたことが、セブンイレブンプロジェクトチームの目に留まり、チェーン店の始まりとなり、多くの店でまとめ仕入れをして、各店に小口配送するシステムを作り上げた。また、プロジェクトチームによって1号店の商品の売れ筋を分析することによって、売れる商品に特化し、今の業態を作り上げた。当時は、プロジェクトチームの感で、店頭に女性のストッキングを置いたり、洗剤の大箱を置いたりしていたが、分析により、こうした商品が洗練されていった。

 その酒屋の店主は、酒店としてはやっていけないので、コンビニにしては見たものの売上金額は前よりも上がるが、利益は前とほぼ同じという事態に当初陥ったが、その後プロジェクトチームの奮闘により持ち直した。この苦境脱出について、店主は、「プロジェクトチームの一途な一生懸命さに信用できると思った」と述べている。

 

実情に合ったマニュアル

 そうして、元々、アメリカから学んだコンビニ経営のノウハウではあったが、アメリカからマニュアルを改め、日本式のマニュアルとし、アメリカのコンビニ業界は不況になった折には、この日本式のマニュアルで立て直したそうである。大きな違いは、理屈ではなく、実践から学んだマニュアルだったというのが大きな違いだった。

 

実践と信用

 世の中なんでもそうだが、理屈だけ並べ立てても、何もできない。また、何かをやろうとしたとき、一人ではできない。そこで、大事なのは信用である。理屈で分かっていても実際にやってみると色々な問題が露呈する。その一つ一つを解決して初めて「出来る」のである。そうした解決には、プロジェクトチームのような仲間の協力が必要であり、酒屋さんが言っているような、相手に信用してもらうことである。

 会社を定年になって、色々なことをやり始めると、会社員当時の信用がモノを言う。会社員時代に信用がなかった人間は、退職しても同様であり、「会社」という保護者が居なくなり、一人路頭に迷うことになる。そういう人間をたくさん見て来ている。    

      (つづく、・・・)