ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

勘違い

「モノ忘れ」と「勘違い」

 「モノ忘れ」と「勘違い」は紙一重のようなようなもので、どっちなのかよく分からないことが沢山ある。今までも何度もあった。

 このブログを毎日書くようにしているが、今朝もやることが多く、それで書くのを忘れてしまい、書いたと思っていたが、よくよく考えると、書いてないと思い確認して始めて、勘違いと分かった。今の今まで、テレビを視たり、うつろうつろしたりと、昨夜の睡眠不足を補っていた。だから、夜の睡眠が浅くなってしまうことは分かっているのに。つまり、ブログを書くのを忘れ、夕方の今になってしまった。

 

池袋、交差点暴走事故

 でも、勘違いが、「勘違い」と考えられず、自分は悪くない、機械が悪い、と出張する御仁も、しばらくぶりに見た。東京・池袋で2年程前に起こった松永さん母子が亡くなったあの痛ましい死傷事故の飯塚幸三被告に、今日、禁固五年の実刑判決が言い渡された。誰が考えても、アクセルとブレーキの踏み間違いと考えられるが、本人は、アクセルを踏んだ覚えはないと、主張し続けてきたのだ。

 

いつでも、若くても起こる「勘違い」

 我々の場合、状況が証明していれば、不本意ながら、勘違いだったんだろうと思うものである。ましてや、相手は機械である。機械はモノを言わない。機械のせいにすれば自分でないことになる。

 よく、置忘れをする。ここに置いたはずだが、と散々その場所を探した挙句、忘れかけた時に、なーんだこんなところにあったか、という経験は、若い時からたくさんの人が経験していることだろう。これを、同居人の妻や子供のせいにしたらどうだろう。「あいつが、私の知らないところで、勝手にこんなところに置きやがって」となりケンかは必須である。その手の御仁なんだろうと思われる。

 

電気調理器

 2,3か月前に、ガス台に調理なべを置いたまま忘れ、火が付いたままだった。私が何かを作ろうとして火をつけたのはいいが、トイレか何かで忘れてしまったのである。それを女房が見つけた。そして言った。「火事になったらどうするの!」「やっぱり、ガスはダメだ。電気にしよう!」というではないか。そのガス台は、女房自身が、忘れた時の空焚き防止付のものを買ったのである。 流石、女房殿! 自分でも忘れることを棚に上げ、私のせいで、私が忘れて困るので、それがきっかけで、目出度く、電気調理器に、となったのである。

 

法律の限界

 こんなものである。こんな夫婦の葛藤で済むならいい。人に傷をつけ、死なせてしまい、それでも、自分の勘違いを認めない御仁はどんな人なんだろうと思う。旧通産省工業技術院院長という肩書を持つ立派な90歳になる老人である。今日の裁判では、裁判長に、「認めなさい、そして、被害者に真摯に謝罪しなさい」と促されたそうであるが、それ以上のコメントをニュースでしないところを見ると、それでも尚、勘違いを認めないということだろうと思う。90歳にもなって刑務所で5年もとは思うが、それでも妻・子を亡くした若い被害者からすれば、納得できない裁判結果なのかもしれない。でも、今の法律では、これが限界なのだ。

 

うるさく、便利な電気調理器

 ところで、電気調理器はガスほど使い勝手は良くないが、慣れれば恐らく快適になるのだろう。いいところだけを並べれば、ガス台、いや調理台というのか、鍋を乗せるところが平らできれいである。汚れる要素がない。こぼれても拭き取るだけできれいになる。次に、鍋が熱くなるだけで調理台の周りが熱くならないので、夏、調理中、調理台の前に立って汗だくになるなんてことは皆無である。そして、うるさく、喚きたてる。「スイッチが入りました」「火力は今・・・です」「スイッチが切れました」「調理台が熱いので気を付けて下さい」それからしばらくして、「まだ、調理台が熱いので気を付けて下さい」。

 「うるさい!」と怒鳴りたくなるほど、次から次へと注意の言葉が続く。

    (つづく、・・・)