ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(62)

 この「おもしろ昔のはなし」シリーズは、だいぶ前から、フィリピンの話になった。そして、フィリピンでのゴルフの話をして、会社の堅苦しい話になった。そして、いよいよ日常的な話になる。ここからは、堅苦しい話ではないので、読みやすいと思う。前の記述とダブルところもあろうかと思うが、その辺はご容赦いただきたい。

 

フィリピンの印象

  フィリピン=貧困、ジャパゆきさん、暗黒無法地帯、最近では、犯罪者の逃亡先などなど、黒い色が似合う印象をフィリピンに重ね合わせるという方も多い事だろう。私も、赴任前は、同様の印象を持っていた。というのも、既に書いた、最初に出張した時の印象も含め、今回駐在員として赴任する前の度重なるフィリピン出張の思い出がそう思わせた事に起因する。

 

印象の誤解

 しかし、現実に赴任し、自力で生活を始めていると、今まで、現実と思っていたことが、大きな誤解であったことに気付いた。「誤解」と言うより、「別の一面」を見ていたのだ。そして、長く生活していた事で、「更に別の一面」が見えてきたのである。

 出張では短期間の滞在(数か月)であるため、そこまで見えていなかったのだ。5年半の滞在を通して、そういった思いが大きく変わり、大好きな国となり、大好きなフィリピン国民と同じようになっていた。そうなった背景を、私の日常生活を通して順次、書いて行きたいと思う。

 

毎日の生活パターン

 毎朝、5時半起床。朝食を準備し、昼食の弁当を準備。そして、たった1チャンネルしかない日本語放送のNHKニュースを聞きながらの朝食。シャワーを浴び、Yシャツ、ズボンに着替えて通勤準備。

 6時半から6時40分の間に、ドライバーがコンドミ(コンドミニアム=日本で言うマンション)の4階(住んでいたのは10階だった)の駐車場で待っているので、エレベーターで下りて、車に乗り込む。ちなみに車はセフィーロだった。偶然だが、赴任前に日本で乗っていた車と同じだった。専用ドライバーは、在任中に2人経験した。経費節減の関係で、前のドライバーは辞めてもらった。決して悪いドライバーではなかったが、口が軽かった事が災いし2者選択で落選したのだ。

 

車で送り迎えの通勤

 約1時間から1時間半が通勤時間である。車の後部座席に座り、というより腰を前にずらし、寝ころび、新聞を見ながら、うつろうつろ、が殆ど毎日だった。最初は、物珍しく外の景色を見ていたが、何度も繰り返し見ている内に90kmもある道のりだが、何処を見ても一瞬のうちにどこを走っているか分かるようになった。もう、見飽きたのである。こうした送り迎えは、日本人赴任者全員がそうだった。

 

フィリピンの道路事情

 最初の30分は高速道路なので、比較的振動が少ない(日本の高速道路のような立派なものとは違い、一般の日本の国道のイメージ。但し、車線は、片道2車線から3車線)が、30、40分続くと一般道路に入る。とてもじゃないが、もう寝てなんかいられない。舗装はされているものの、いやでも、振動で目が覚める、そんな道路である。

 そして、最後の10分は完成間近と言われ続けた高速道路の一部舗装された部分を走るのだ。この道路は、マニラからの最初の高速道路とつながると言い続けられたが、とうとう私の帰任まで繋がらなかった。帰任してから、最近やっとこの高速が1本の長い高速道路として繋がったということを風の便りに聞いた。住んでいたアラバンから会社近くまで一般道路を通らず、今は、一気に行けるらしい。便利になった筈だ。時間も1時間弱で行けるらしい。

 この話は、私が赴任した2003年当時、翌年には繋がると言いながら、帰任した2009年5月時点でまだ繋がっていなかったのだ。ここにもフィリピンらしさがあったのである。

 

通勤中の車中では、

 工業団地入口に着くと、あと、5分である。会社到着、7時45分。1時間15分から1時間30分が朝の車での通勤時間だった。最初は、ただ乗っているだけではあるが辛かった。しかし、その内、諦めの境地になり、どうしたらより快適に乗っていられるかを考えるようになった。乗っているだけとは言いながら、これが結構重労働なのだ。最初の20分程度は、タブロイド版の日本語の新聞、「マニラ新聞」を隈なく読み尽くし、その後、その日会社でやることを考える。そして、眠くなり寝ていると前述の一般道路で起こされ会社に着くという毎日の通勤時間の過ごし方だった。全体朝礼のある時などは、車の揺れに負けずにペンを走らせ、話す内容を箇条書きにまとめたりもした。

     (つづく、・・・)