ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

白内障手術のその後

 約2か月毎のチェックということで、今日がチェック日だった。朝眼科へ行き、その後、日本語を教えている外国人が、コロナワクチンの予約開始というので、ちゃんと予約ができるのかどうかが心配になり、外国人に確認していたら、ブログを書くのを忘れてしまった。夕方になり、思い出したので、白内障手術のその後について書きたいと思う。

 

白内障手術は良い!

 前にも書いた。もう一度書く。ともかく、「白内障手術はいい」。裸眼で、このパソコンも打っている。裸眼というのは、こんなにも煩わしくないものか、と改めて感じ入る。夜、寝床でテレビを視る。朝起きた時に、あれ!メガネどこだっけ? あったあった、フトンに絡まっていた、と言ったことは勿論ない。メガネがなくても見えるからだ。風呂で髭を剃る。ド近眼だった私は、メガネを風呂場に持ち込み、メガネをかけないと髭が剃れなかったのだ。はずしたメガネをどこへ置こうなんて考えなくてもいいのである。メガネがないので当然だ。

 

白内障手術の弱点

 そうした、素晴らしい白内障手術にも弱点はあった。見つけてしまったのだ。近くを見るときが問題なのだ。今までだと、メガネを外せば、殆どの小さい字は読めた。メガネをかける、外すという行為そのものは、メガネを長らくかけている人間にとっては、どうってことはない。見えない時だけ外せばよいので、簡単だった。ところがである。手術をして、メガネが出来上がってみると、近場が、見えないのである。そりゃそうだ。遠くを見るメガネなので、ここが大事なポイントなので、よく理解して欲しいが、メガネを外しても見えないのである。じゃー遠近両用でないからだなーと、遠近両用の眼鏡を作った。これは、なぜか、最初の眼鏡の変更ということで最初の払った1万円ちょっとの範囲内で、無料で作ってくれたのだ。二つの眼鏡が手元に残った。

 

見たくても見えない

 サァー、見えるだろうと、見てみると、そこそこ見えるが、今までの裸眼のようには見えないのである。初めて、「見たくても見えない」ということを経験した。手術前はメガネを掛ければすべて見えた。近場で見えない時は、メガネを外せば見えた。ところが、メガネを掛けても外しても見えない、という現象にぶち当たったのである。さて、どうする?ここで、綺麗で可愛い眼科の先生が登場である。

 

眼科医登場!

 現象の一部始終を説明して、「どうしたら良いでしょう?」。すると、ビックリすることを言うのである。「それは見える」と言うんですよ。「えっ!」。耳を疑った。「つまり、眼科関係の先生やメガネに関係している人は、”0.7”迄見えたら、見えると言うんです」。私が言っている、近くが見えるとか、メガネを外すと見える、というのは「見える」という概念の外であるらしいのだ。

 

遠近両用メガネが合わない!

 二度ほど遠近両方の眼鏡を作り直した。遠くを見るメガネは、普通に掛けられるのに、遠近両用となると、違和感を感じるのである。今までド近眼だった時は、そんなことはなかった。

 そこで、怯んでは男が廃る、とばかりに、質問を重ねる。遠近両用で、もう少し、近くを見る方の度数を上げたら、どうなるんでしょうね、と。すると、もっと違和感を感じるようになります、というではないか。じゃー、近場を見えるようにするにはどうするんですか?と聞く。すると、「近場を見えるように」と言いますが、眼科の世界では既に見えているんですよ、と。・・・珍問答が続く。可愛い先生は頭がいい。「この話はもう止めましょう!」

 

これから白内障手術する人に

 これから白内障をする人にアドバイスをしたので教えて欲しい、と前置きして続ける。白内障の手術をする時、焦点はどこに合わせますか、と聞かれ、30cmに、と言った。これを10㎝とか5cmとか言っていたらどうなっていたんですかね、と。すると、「アドバイスなんてしないでください。見えるようになった。裸眼で見えるのが感動です」。それでいいでしょう。と、眼科医が言うのだ。どうも、こうすると裸眼で0.7は見えなくなるようだ。分からない。手術する前に手術する眼科医に聞いて欲しい。これがアドバイスである。

 人間欲張ってはダメだなーと反省し、メガネで見えない?ものは、天眼鏡を手元に置いておくことにした。そういえば、父親も天眼鏡を机に置いていた。母親はド近眼だったが、老眼鏡はどこにもなかった。このなぞが解けた。

    (つづく、・・・)