ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(71)

 今まで、フィリピンでのカラオケ、マッサージなどの世界を書いてきた。ほんのさわりの部分だけである。文字には出来ないことも一杯ある。この手の話は、棺桶まで持っていくしかない。

 

交通事故に遭った被害者の命

 このような話は、書き物でしてはいけない話なのかもしれない。所謂、人の命の値段である。日本では、交通事故などで、不幸にして、被害者が亡くなったりすると、今では、何億という大きな保険金が支払われる。飛行機事故、列車事故などでも同様である。

 こんなことを話題にして良いのかとも思うが、皆さんが知らないフィリピンを分かって欲しいということから書くのである。「作り話し」と受け取られ兼ねない事件が会社であった。従業員の家族が、フィリピンの乗り物、ジープニーに乗っていて、車同士の事故に遭い、瀕死の重傷を負ったのだ。

 

寄付を集める同僚

 会社で働いているようなフィリピン人は、貯蓄を持たないのが一般的だ。理由は簡単。性格が楽天的に出来ている。また、貯蓄できるほど給料も高くない。大事な携帯電話ですら、金に困れば、売ってお金にしなければならない人たちである。

 この手の事故が起き、大金が必要になると、いろいろな手段を講じる。この場合は、 この事故を聞いた他の従業員が、会社内で寄付集めに走った。当然ながら、資金源である日本人にも寄附帳が回って来た。色々日本人同士で相談したが、1000ペソ位を各自、出した。しかし、給与の安いフィリピン従業員は、50ペソとか100ペソとかの寄付である。従業員400人全部から寄付を集めたとしても、せいぜい、4万ペソ(8万円)程度としかならなかったはずである。

 

その後の被害者

 暫くして、被害者はどうなった?と聞いてみた。脳を損傷していて、手術には30万ペソ(60万円)掛ると医者に言われたそうである。どこかで書いたかもしれないが、フィリピンでは、病院へ行っても、担ぎ込まれても、まず、お金が先で、お金がないと何もして貰えないのだ。医者も商売である。お金のない患者を見ていたら、収入が無くなるのである。従って、寄付は集めてみたものの、必要な額が集まらず、結局この被害者を助けることは出来なかった。集めたお金はどうなったか知らぬが、恐らく、家族の見舞金になり、生活費になったのだと思われる。

 

別の交通事故

 次のような話もリマ会で報告された事がある。日本人が乗った乗用車(勿論、運転はフィリピン人)が交通事故を起こして、フィリピン人を死なせてしまった。年寄りだったらしい。この時の見舞金が、何と、8万ペソ(16万円)程度だった。しかもこのお金は運転手でなく、同乗者の日本人が払ったが、払った日本人は、被害者家族に大分感謝されたそうである。

 一般的に、普通のフィリピン人は車を運転していても保険に入っていないから、事故を起こしても補償金を払えない。被害者はやられ損になるのが一般的だ。命の代償が小さな事もビックリだが、このケースでは、被害者が亡くなって、家族が喜んでいるのだ。普通なら嘆き悲しむところだ。おじいちゃんが亡くなったことで、8万ペソもの現金を手にすることが出来たのだ。8万ペソという金額は、労働者の1年分の給与、年収である。

 

キャディの事故

 前にゴルフの話をした。そこで、我々のキャディの頭に客が打ったボールが当たった。そして心配する我々に、クラブの従業員は、「心配しなくていい」と答えた。これは、この程度のお金なら、ゴルフクラブで、最悪何とでもなる、という意味だったのだ。この交通事故でその意味が分った。

 

フィリピン人の老後

 貧困とはこうしたものだ。貯蓄もない人間が、老後をどう過ごすか。今、日本で直面している問題である。年金なんてものは当てにできない。ではどうする。だから、フィリピン人は家族の絆が強くなるのである。子どもを大事に育てる。そして、大事に育てられた子どもは、家族思いになり、両親やおじいちゃん、おばあちゃんを大事にするのである。昔の日本は、こうだった。貧困家庭は家族思いになるのである。

 どちらの方が良いか? お金優先なら日本、気持ち優先ならフィリピンである。 

      (つづく、・・・)