ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし(83)

 フィリピンへ赴任して、仕事以外で夢中になったものは、実は、料理だった。もちろん、一流日本食店へ行けば、美味しいものは食べられる環境にはあった。しかし、そういうおいしいものではなく、素朴な料理が食べたいのである。そして、「自分で作る」ことから始めた。

 

厨房設備(マンション)

 次は、所謂、焼きものだった。焼き魚から入ったが、排気フードが元々完璧でない厨房設備である。それもそうだ。マンション(と言うよりホテル)の一室で、コーヒー位しか湧かさない設備だ。煙が部屋中に充満し、火災報知機が作動しないかと心配した程だった。元々、窓が開かない構造のマンションだったこともあり、ドアを開けて換気するにも、外の部屋はホテルの部屋ということで、排気フードから少しずつ流れ出るのを待つしか方法がなかった。

 

マンションオーナー

 そうそう、マンションの部屋の契約をするとき、2年目以降契約した部屋は、アラバン地区にある30階建てのホテルとコンドミが混在する建物だった。私の部屋は、10階の1015室。1001号室から1016号室まであったが、そのうちの半分位は、ホテルとして管理運営されていた。私の部屋は、金持ちが買い上げ、コンドミとして貸し出していたのである。ほとんどは不動産屋を介しての契約だったが、最初だけ、オーナーに会った。あってみてビックリ。妙齢の若い女性だった。他の街のも同様の資産を持っているらしかった。恐らく、こうした人は親が資産家で、その管理を任されて娘がやっているという構図ではないかと推測された。

 

活躍したカセットフー(簡易ガスコンロ)

 1年目、メードで苦労したが、一方で、料理の楽しさが分かって来たころで、本格的に料理を独学で覚えてみようという気になり、2年目以降のコンドミを契約する時、広いお勝手を条件にした。契約しようとする所は、電気コンロが付属家具として付いていたが、これを使わず、火力の強い携帯ガスコンロ(カセットフー)を使用することにし、元々、流しのシンクは、コーヒー茶碗を洗う位にしか使わないような小さなものしかなかったので、それを大きなシンクに改造してもらい、更に、シンクの横の調理台も小さく狭いので、倍の大きさに広げてもらった。この改造には数十万ペソ掛ったが、1か月の借り賃にその分を按分して貰い支払ったが、それでも、1年目のコンドミのレンタル料の八万ペソを大幅に下回り、2年目以降六万ペソの賃料で済んだ。

 

煮物料理

 話がそれたが、次の挑戦は煮物である。定番の肉ジャガから入った。色んな調理法もあるらしいが、最初は野菜を炒めてという定番から入り、最後は、炒めなくても出来ることが分かり、面倒な炒めを省いて作っていた。魚の煮物もやった。当初、醤油の入れ過ぎで塩辛くなりとても食べられず捨てることもあった。この頃から、一般に出回っている出し汁が、非常に使い勝手が良いことが分かり多用した。出し汁にみりんやお酒、更に甘みが必要なら砂糖を入れれば、殆どの和風料理は出来た。勿論、これは邪道なのかもしれない。が、私には味が合うのである。

 

どんぶり料理

 丼物も、かつ丼、玉子丼、親子丼、ウナギ丼、牛丼、中華丼などなど、ともかく何でも、ドンブリものと言われるものも作ってみた。具によって、具材によって、名前は違うが調理方法は、私は同じにした。もっとも、具の事前調理方法は、全く異なるが。材料は、ウナギ以外は、全て揃ったので、生肉、生野菜、生魚から作った。

      (つづく、・・・)