ミドさんのブログ

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かかりつけ医

かかりつけ医

  35日おきに訪れる病院がある。いわゆる、かかりつけ医(クリニック)である。フィリピンから帰国し、会社員生活を終えて、かっての実家である自分の家に戻ってきてから、市の病院、隣の市の病院、かって会社員時代に行っていた病院などいろいろな近場の病院に行った。しかし、そうした病院はなぜかしっくりこない。そして、現在のかかりつけ医にもう10年以上お世話になっている。

 

医師の前では・・・

 今までいろいろなことがあった。最初訪れた時に、医師の前で足を組んだことがあった。すると、私の前で足を組まないでください、と注意を受けた。足を組むことが癖になっていたことが原因であるが、一方が足を組み、一方が普通に両足を揃えて座っている姿を想像すれば、何となく、医師の言うことが分かる。つまり、足を組んでいる方が偉く見えるのだ。この医師は、そういうことを指摘したのではなく、医師と患者の関係というのは、教師と生徒のような関係と考えているのである。なるほど、と思った。

 地域の役員をしていた大先輩がいた。その役員が、その医師とケンカをして、もう二度とあのクリニックには行かないと言っていた。理由が分かるようだった。でも、何となくこの医師とはフェーズが合った。

 

病院紹介

 何の病気だったか忘れたが、その病院で、別の病院を紹介された。自分のところではその病気は得意でないし、他の専門病院で見てもらったらいいと、少し遠い病院を紹介されたことがある。なんでも自分がやってやるという医師ではないのだ。そして、数年前に胆石を患ったことがあり、それを予想して、もし、急に痛くなったら、私のところへ電話するように、とアドバイスを受けた。そして、予想通り痛くなった。そして、この医師に電話すると、近くの大きな病院へ話をつけてくれて入院し無事、胆石を摘出し、急場をしのいだ。そして、退院後この医師のところで、痛くならないためにどうしたら良いかと聞くと、胆嚢を取ることです、とこともなげに言う。そこで、先の病院で胆嚢摘出手術を受けた。何事もなく現在に至っている。

 

持ち場、持ち場

 つい、2,3日前、定期健診でこのクリニックを訪れた。普通なら、患者を診察室に誘導するのは看護婦が呼ぶこと始まるのが普通だが、その時は、この医師が自らやっていた。「先生が、自分で患者を呼ぶんでは大変ですね」というと、「いや、看護婦は看護婦の仕事をすればいいだけですから」という。こういうケースはいつもではない。普通は看護婦がするのだが、何かで看護婦が忙しかったのだろう。もちろん、コロナの予防接種も、ここでお世話になった。

 

 

酸素濃度測定

 そして、血圧も、酸素濃度も医師自らが測定していた。そこで「酸素濃度が99%以上ありますけど、コロナに罹るとこれが90を切り、危険だと言うことなんですね」と質問。いつも、分らないことは、この医師に聞くことにしている。すると、「これは目安でしかありません。例えば、息を止めて測ると、すぐ、80台位にはなりますよ」と。

 続けて、「マスクはいつまでつけているんでしょうね」と質問。「もう、ずっと、続けるようでしょうね。飲み薬が出て、それが一般化する、再来年位には、元に戻るかも知れませんが、マスクはマナーになります」という。今のインフルエンザのような感染症になるには、あと、2年はかかると言っていた。

 温暖化の影響もあるだろうし、長い目で見れば、人類の滅亡に結び付くかもしれないと言うのだ。何万年も前に恐竜が、こうした細菌によって滅亡した。人類もそうした流れの中にいるかもしれないと言うのである。

 

頼りにされる「かかりつけ医」

 「ところで、インフルエンザの予防接種はどうしますか」「いや、やりません。今までもやっていないですし・・・」と言えば、「それで、いいです」と。良し悪しをはっきり言い、患者の意向に沿った処方をしてくれる先生なのである。そして、自分に足りないものがあれば、もっと良い医師を紹介し、患者のために尽力してくれる、正に「かかりつけ医」なのだ。

 人が何と言おうと、私は、この医師に最後まで面倒を見てもらおうと思っている。

       (つづく、・・・)