ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

心なきマスコミ報道

小室圭さん、眞子さん、ご結婚

 昨日、秋篠宮家長女、眞子さまと結婚された小室圭さんの結婚記者会見があった。「眞子さま」という、普通一般人には使わない「さま」ではなく、「さん」とお呼びしてもよいそうである。つまり、小室圭さん、眞子さんご夫婦ということになる。皇族を離脱し一般人になった証でもある。

 

記者会見の形式

 この話題は、このブログで取り上げようとは思わなかったが、昨日の報道を視て取り上げることにした。「書いておかなきゃ-」という欲求にかられたのである。この思いは、海外に5年半という長期間滞在して日本へ戻って来たときのマスコミに対する感情と同じだったからだ。

 「報道とは何か」を考えさせられたのである。小室圭さんや眞子さんが、記者からの事前の質問項目について、会見で記者との一問一答形式は取りやめにしたが、会見発表そのものは残し、質問項目については、書面で回答するという「形式をなぜとったか?」について、マスコミ各社ともに、触れられていない。

 

眞子さんの意図

 眞子さんが話されていることには、二つの理由である。①誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねないものが含まれていること ②精神的な病気の不安を払拭することができず口頭でのお答えはできないが、いただいた質問にはお答えすべき、と考えたことである。つまり、今回の会見は、眞子さんから記者たち(国民)への一方的な説明にはなってしまうが、①記者会見そのものをしない場合、誤った情報がそのまま、事実であるかのように、今後も取り扱われる不安 ②記者から質問項目に回答しないことは、自分達の考えが、国民(記者たち)に分からないままになってしまうという不安、の2点だろう。

 

お門違いな「皇室はどうあるべきか」

 昨日の記者会見の直後も、今朝も、この問題は、「皇室はどうあるべきか、皇族はどうあるべきかという問題である」とマスコミは報道している。しかしそうだろうか。私から言わせれば、「皇室に関する報道はどうあるべきか」である。発言することを封じられた皇族の方々に対し、噂や事実でもないことを報道していいのか、ということである。芸能人や政治家など、自由にマスコミに対し発言できる方々はそれでもまだいい。でも、皇族はそれができないのである。

 

反省なきマスコミ

 そして、今回の小室圭さん、眞子さんの記者会見にはこうした「問いかけ」が含まれていることを、マスコミは、どこも報道していない。「マスコミは正しい」という前提であり、本当に「Mass-comunication」の「マス」になっているのか、という点である。一部の記者の独断と偏見で報道していないかという点にある。口を封じられた人たちを言われなき報道で追い詰めるという権利がマスコミにあるのか、ということである。

 

正確な情報を伝える

 人ごとのように、眞子さまが皇族離脱の時に受け取られる一時金を辞退したことを「眞子さまの意向」と報じる、そして皇室の結婚に係る行事も一切執り行われないことを、父親である「秋篠宮様の意向」にように取り上げる。これらは、本来、小室圭さんの母親の報道がなかったらあり得なかったことなのである。他の皇族がされたように、一時金を受け取り、結婚に関連する行事も行えたのである。それが、いかにも小室圭さんの母親が原因であるかのように報道する。私が弁護士なら、小室圭さんがアメリカの大学を入学するときに眞子さまの婚約者であることを利用したかのような報道も含め、名誉棄損で訴えたいところである。

 

二人の愛があれば

 生活資金になったかもしれない一時金を受け取ることも出来ず、女性にとって一番大切な結婚式さえも挙げることが出来ず、ご両親に花嫁の晴れ姿を見せることもかなわなかった。秋篠宮様始めご家族の方々には、本当に気の毒としか言いようがない。

 こうしたことを乗り越え結婚する小室圭さんと眞子さん。こうした事実だけを挙げれば不運なお二人ではあるが、二人の心の結束は固いようだ。そして、今までの皇族とは違った、自分の意思を明確に国民(記者たち)に伝える決断をし、伝えた。これは、皇族であった、皇族として最後の、眞子さんの快挙でもある。これ以上、マスコミはお二人にまとわりつかず、そっとしておいて欲しいと思う。

 

 お二人には、「幸せな家庭」が似合うはずである。

  「小室圭さん、眞子さん! 本当におめでとうございます!」