ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(4.1%の裕福層と容認する国民性)

昭和の時代

 昔の日本、昭和の日本がそこにある、と言っても間違いでもないのがフィリピンである。昭和に時代に生まれ育った人間には、非常に懐かしい感じのする国である。その昔、日本のそれぞれの地方には、名士とか、名家と言われた人たちがいた。地域で何か行事が催されると、寄付をしたり、冒頭では挨拶をするような人である。別に,市や県・国の議員さんでもない偉い人であり、財産もありお金もたくさん持っていることから、地元の名士として崇め奉られていたのだ。

 

1%の裕福層

 正に、その世界がフィリピンの社会である。村に一人いる名士の言うことを村人は従順に聞き、この名士を頼りにするという人間関係である。1%の裕福な人がいて、99%が貧乏でも、それを許し、い居心地が良いと認めてしまうような社会なのである。日本でもそうであったように、都会と田舎ではその辺の感情は幾分違いはするが、10年前まではそんな社会があったのである。

 

貧富の差は不幸なのか?

 フィリピンは、貧富の差が大きいと言う。でも、人が思っているほど、自分が不幸だと思っている国民は少ないのではないかと思う。あれこれ考えて、自分が偉くなろうとか、地域の名士になろうとかといって面倒なことを考えるなら、偉い人が言うことぉ聞いて、従っていた方がよほど楽だ、と考える人の方が圧倒的に多いのである。

 

裕福層の振る舞い

 サラマッポでは、「菜っ葉服の社長はダメ」と書いた。この考え方は以上述べたようなフィリピン人の性格から来ているのである。偉い人は、態度や服装や車も、何もかもが偉そうであることを要求されるのである。今は、衆議院選挙の真っ盛りであるが、バイクに乗った候補者というのは、全く受けないのである。超高級車に乗った、ブランド服を着た、恰幅の良い人が注目に値するのである。

 

社長はプレジデント

 社長は「President」と呼ばれ、「大統領=President」と同じ呼び方なのだ。そして、ただ偉い態度だけしていればよいというわけではなく、そのように振舞うのが、社長の役目でもある。上の者が施しをするのが役目であり、下の者は施しを受けるのが当たり前の世界である。「食事行きましょう」と誘われて一緒に行ったら、全員の食事代を払うのは、一番偉い人というのが当たり前の世界である。

 

車の窓ふき小学生

 車が信号機で止まった。小さな子供が駆け寄ってくる。小学生の3,4年生位だろうか。そして、言いもしないのに車の窓ガラス、フロントガラスを拭き始めた。自分の背丈で届く範囲しか綺麗にはならないが、そんなことは気にしない。止まっている間の1,2分の間のことである。そして、一通り終わると、運転手に向かって手を出す。当然のごとく、運転手はコインを掌に載せてあげるのである。つまりここでは運転手が偉い人なのだ。普段はそういう態度を見せない運転手だが、こういう時はなぜか偉そうに見えるから不思議である。

 

貧富の差を受け入れる国民

 フィリピンの国では、誰が偉くて誰がそうではないかをよくわきまえていて、臨機応変に自分が施しを受けたり、施しをしたりと立場で変わるのである。上から下まで、1%の金持ちと、99%の一般人とで決まっており、国民全部がそのようにひとりでに理解している社会なのだ。

 容易に、フィリピンの貧困は直りようがない。

    (つづく、・・・)