ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

伝統を守る

かんぶり穴を守る会

 昨日、珍しい経験をした。「かんぶり穴を守る会」の会員に案内してもらい、十王前横穴(通称:かんぶり穴横穴墓群)を見させてもらいながら、通路や横穴入口周りの落ち葉の清掃作業などを手伝った。私がボランテアをしている、茨城県生涯学習センターで、ボランテアグループの紹介があったのがきっかけで、訪れることになったのだが、このグループには、かって勤めていた会社に同期入社した人がいたことから数あるグループの中でここを訪問することになった。

 

10年弱の活動

 この人の話によれば、元は秋田県出身だったが、もう住んでいる期間が、日立市十王町の方がはるかに長くなり、この「かんぶり穴を守る会」も活動始めて10年弱になるとのことである。始めた頃は、雑木林状態で、そういった遺跡があることも分からなければ、現地を訪れる人もいなかったとのことだが、今や、見学ルートも整備され、手すりや階段なども出来、切株などを利用した休憩場所や周りを切り開いて遠くを眺めることが出来る展望台も整備されている。

 

かんぶり穴の場所

 日立市一帯は、阿武隈山系の多賀山地が南北に走り東は太平洋に挟まれた地域で、特に日立市の太平洋に面するところには海岸台地が伸びる。そしてそこに十王川が流れ、その北側の山の南側斜面に横穴群が集まっている。全部で29の横穴墓があるそうだが、案内してくれた彼の話によると、26だけが確認できるそうである。ネットで調べると、この辺りには、古墳墓や横穴墓などが多数点在する地域であるらしい。この「かんぶり穴」もその中の一つということである。

 

かんぶり穴の大きさ

 それぞれ1号墓、2号墓、・・・と名前がついているが、そのいくつかに入ってみた。玄室と言われる部屋であるが、意外と大きい。間口、入り口は、人が屈んでやっと入れる高さだが、入ってみると2m以上の高さはあり、横幅や奥行きも4,5mはあるものもある。奥の半分が1段高くなってそこには小石が敷き詰められ、御棺が置いてあったようである。かっては、壁に壁画が見られたようだが、私が入った横穴墓には見られなかった。現在は何もない空間となっている。この横穴は第二次大戦中は、防空壕として利用されたと聞く。

 

自然相手のボランテア

 我々がやっている人間相手のボランテアとは違い、自然相手のボランテアである。誰が喜んでくれるのか、皆目見当つかないまま、10年近くも整備に苦心された方々には、頭が下がるばかりだった。しかし、この活動は、地元でも有名で、「かんぶり穴」と言えば、みんなが知っている活動のようだ。

 

伝統を継ぐ若手海女

 福井県坂井市三国町の若い海女さんの放映があった。25歳の新人海女の物語だった。子供の時から海が大好きで、海女に興味を持ち、民宿の一人娘ながら、海女になってしまったという。現地では高齢化が進み、おばさん、おばあさんに囲まれながら海女の修行をしている。獲った海藻・貝類は、お父さんの経営する民宿で食事として出され、宿泊客にご馳走して出され、「美味しい!また三国に来たい!」・・・、そう喜んでもらえることが幸せだという。

 

小田原漆器の若手職人

 1月に放送があった、再放送らしいが、木目美しい小田原漆器の若手女性職人の奮闘ぶりが、30日再放映された。番組では、箱根寄木細工の特徴的な幾何学模様の作り方やお椀の漆器を削り出しから漆塗りまでの工程を紹介していた。今は亡き師匠の教えを胸に、また、師匠から受け継いだ数十種類の工具の維持管理など、若手女性職人が奮闘している様子がよく分かった。

 

伝統を守る、地域ボランテア

 我々の地方でも、こうした伝統工芸・芸能を受け継ぐ若者がいない。こうした技術・発想は日本独特のモノであり、世界に例を見ない。また、冒頭に書いた遺跡の維持は、放って置けば、ただの雑木林である。しかし、古墳時代に人々がこの近くに住み着いて、お墓をこの場に作ったと考えれば、感慨深いものがある。若い人は生計を立てる必要があるので、収入になることをやらざるを得ない。しかし、年金生活者の年寄りは、その必要性も薄い。従って、自分の体、頭が使えるうちは、こうした世の中のためになるボランテアに精を出していきたいとと思っている。

     (つづく、・・・)