ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(7.ドバイ景気)

 さて、今日は何を書こうか、と考える。11月は霜月。旧暦と新暦では違うので、まだ、霜が降りる時期ではないが、昔、霜が立った土の道を下駄で歩くと、ザック、ザクと音がしたもの。フィリピンも少し寒くはなるが、この時期、日本の寒さのような寒さではない。半袖にしようか長袖にしようかと悩む程度の寒さである。

 

文字ではわからない実情

 今日は、フィリピン人の従業員教育の話。今までフィリピン人の性格などにも少し触れてきた。日本人にないものをたくさん持っている。これはフィリピンに限ったことではなく、世界各国いずれも同じである。だから、若者は外国を見て来いと言う訳である。文字で書いた世界では分からないし、今の世の中、Zoomなど対面での会話もできるが、これでさえ、「わかる」には程遠いものがある。

 

ワークシアリング

 さて、フィリピンでは仕事が少ない。だから、「Work Sharing(ワークシェアリング)=作業分担」という考え方が、フィリピンの国情、フィリピン人の性格と相まって、徹底されている。つまり、一人一人を単純労働にするというやり方である。デパートのレジエリアには、レジを打つ人、荷物を袋に入れる人、検品をする人、などと数人がいる。最初は、なんで?と思ったが、仕事がないので、みんなで報酬を分け合うSharingなのだ。仲のいいフィリピン人社会の縮図でもある。

 

英語が得意なフィリピン人

 フィリピンでは英語が国語ではあるが、全部が全部英語が得意なわけではない。そこで使われるのはタガログ語をはじめとした地方の「方言」である。ただ、学校を出てきた人たちは、当然英語を話すので、従業員たちの殆どの人とは英語で通じる。

 製造会社勤めをした人なら分かると思うが、ISOという認証があり、ISO認証工場となれば、一定の評価を受けられる仕組みになっている。海外、フィリピンも例外ではない。日本なら認証を取るときには大騒ぎで書類を揃えたものだが、フィリピンの会社ではそれほどの騒ぎにはならなかった。というのも、文書が全て英語だからだった。

 

こころを教える

 文書できちんとできていれば何事も済むというものではない。家庭内暴力を周りの人が気付いていたのに防げなかった、などと言う今どきの問題も、決まった通りにしたからといって、早期発見、早期解決に結びつくわけではない。そこには、子どもを守ってあげる、という心が存在するのである。製造会社も、ISOの基準を作ったから、文章で規定したから、何事も問題なく進むというような単純なものでない。そこには、底流に流れる考え方が必要になるのである。

 ましてや、作業分担の進むフィリピンでは、この「底流に流れる考え方=こころ」が最も重要になってくる。仕事ばかりではない。ちょっと外国に行った、ちょっと何かを見せてもらった、それだけで、全てが分かったような気になっていても、本当の心は分からないもの。実際に行ってみて、長年やってみて、やっと分かるようなものばかりである。

 

ドバイ景気

 フィリピンには仕事がない。そこで、ジャパユキさんになった。そして、私が赴任していた2006,7年ころは、中近東のドバイ景気がフィリピンを襲った。男の人たちは、建設作業員として、女性はメイドなどとして、ドバイに渡った。我々の会社従業員にもこの風が吹いた。せっかく、「心」を教え始め、理解し出した従業員が、一人、また一人と、海外に出稼ぎに出て行ってしまうのだ。教えても教えても、ドバイの砂漠の中に、こうした教育が埋もれて行ってしまうのである。何度、無常観を味わったことか。

 

繰り返される教育

 しかし、こうしたことを繰り返しているうちに、やっと気づいた。不良率に関する教育、工程管理に関する教育、資材購入に関する教育、そうした教育は、砂漠に埋もれることはない。きっと、行った先々で、彼らの役に立っているに違いないと。方針や手法さえ教えてしまえば、良く従うのもフィリピン人の特徴である。きっと現地では、雇い主に重宝がられ、可愛がられているに違いない。この教育は製造技術の教育ではなく、フィリピン人の人間教育だと思った。

 何度も教えては海外に行かれてしまう、を繰り返したが、彼らを幸せにするために、との思いで続けた。

     (つづく、・・・)