ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(10.家族主義)

常会組織

  昨日、気の合う農業委員の集まりがあった。その席で、「常会」という”ご近所さん会”の話になった。私が住んでいる地域は、400世帯ほどあるが、その中に「常会」というご近所さんの組織があり、市からの回覧板を回したり、地域内で起こることを連絡したりするのである。かっては、お葬式が、この常会単位で行われ、葬式のお手伝いも常会の皆さんが助けてくれたりした、非常に近いご近所さんだった。ところが、新しくご近所に引っ越ししてきた人たちは勿論、今まで、常会に入っていた人たちまでが、脱会したい言い始めたのである。

 

周りのことを考える

 地域で各家共通のことをする場合や問題が起きた場合など、この常会の長、すなわち常会長が中心になって、事に当たることになる訳だが、その常会自体がない地域まで出てきて、問題が起きた時に誰が解決の中心になるのか分からなくなってきているという現実である。消防団を呼んで防災訓練をすることになったが、訓練の始めに挨拶をする人が、常会長がいないから、いない。そこで、その地域出身の市議会議員に挨拶してもらったなどという話も紹介された。

 

列車内殺傷事件、いじめ

 最近、周りの人を気遣うとか、自分の家以外のことを考えるとか、といった感覚が希薄になっているように感じる。そういう話をすると、それは年寄りが考えることではないか、今どきの若者は違うなどとと、”年寄”連中が言うのである。最近嫌な事件が多い。妻が夫を殺害する、夫が妻に暴行する、挙句の果ては、夫と妻で子供に暴行し殺害するである。こういった家庭の話以外でも、学校でいじめにあって子供が自殺する、列車の中で不特定な乗客の殺害を計画実行するなど、列挙に困らないほど連日報道されている。

 

社会を恨む現象

 核家族になり、夫婦間だけで解決しようとすることから、泥沼に入るということもあるだろうし、周りの人との交流が希薄になり、親身に相談する相手がいないことで悩み苦しみ、短絡的に走ってしまう、更には、こういった家庭で育つ子どもたちは、友達が少ないこともあり、相談相手がおらず、何かあると他人を恨む、社会を恨むという現象になる。

 

フィリピンの家族主義

 すっかり日本の話になり、フィリピンの話から遠くなった。言いたいのは、フィリピンの魅力である。フィリピンでは、日本と違い、末っ子が家の後を継ぐケースが多い。これは家族のつながりが強いことから来ている。貧困であるがゆえに、中学高校を出ると、上の子どもから順番に家を出て、仕事がある都会に行く。お金を稼いで実家に仕送りをする。この仕送りはこの子どもが結婚するまで続く。そして、末っ子は、こうした兄・姉の仕送りに支えられ、高学歴になるまで教育を受け立派に育つ。そして最後まで残ったこの末っ子が両親の面倒を見るという構図である。

 

長男が跡継ぎ、日本

 かっての日本と同じであるが、日本は、周りに働く場所があったので長男が、働きながら一緒に住んで、弟・妹が一本立ちするまで面倒を両親と一緒に見ることが出来た。そしてやがて、子どもができる。両親にとっては孫である。そして世代をつないでゆくのである。日本はこういった形式は、既に崩壊した。しかし、フィリピンはいまだに残る。だから、拳銃所持を認められているような国にもかかわらず、身内や赤の他人を傷つけるような事件は少ない。

 

家族主義が懐かしい、日本

 家族みんなで過ごすのもいいが、核家族の自由さに慣れきってしまった人間には、もう戻れない。あとは、こうした家族をどうやって教育していくかが問題である。社会教育の問題である。隣近所を思う「常会」も無くなりつつある。家族主義が大手を振るうフィリピンのような社会にどうやったらなれるのか、国民みんなが考えるときに来ている。