ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

他人に迷惑?

他人に迷惑を掛けるな

 「他人に迷惑を掛けるな」という概念。日本独特の概念、と考える方々もいるらしい。海外に、15年もいた私も、「日本独特」とは気付かなかった。なるほどそう言われてみれば、思い当たる節がたくさんある。日本語ボランテア教室で、先生である日本人が、学習者の外国人を待っていても、連絡もなしに出てこない。かと思えば、今日も来ないだろうと高をくくっていたりすると、突然出てきたりする。日本人なら、人に迷惑を掛けてはいけないよ、と諭す所だが、ここは外国人、先生側の事情も後でゆっくり説明する羽目になる。そして、意味が分り、以降、連絡してくる学習者(外国人)もいるが、それでも9割は、連絡なしのかってのままである。

 

空気を読む、何を読む?

 色々調べていると、日本人は空気が読めても、相手の事情は読めない、とあった。なるほど、全部が全部とは言い難いが、一部にはそういう御仁もいるだろう。つまり大衆迎合主義と言われるものである。この考え方はどこから来たのか。

 聖徳太子、十七条憲法、第1条、「和を以て貴しとなす」という考え方ではないのかと思われる。学校でも、家庭でも、「他人に迷惑を掛けてはいけません」と教わり、大人になっても、それが正しいと思い、さらに言えば、あたかもそれが他人への「思いやり」のように思っている。

 

人倫(じんりん)

 「倫理」とか「人倫」といった言葉がある。人倫とは、孟子が言った言葉に「契(せつ)をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以(もっ)てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り」というのがある。これは他人云々の話ではなく、自分はどう考えるべきか、という考え方である。「親、義、別、序、信」を五教というらしいが、これも、日本の家庭で教わる考え方である。

 

瀬戸内晴美の小説

 昨日、数日前に亡くなった、瀬戸内寂聴さんの訃報が流れ、どのマスコミも故人を文化勲章まで頂いた立派な人との論調で流している。私が高校生の頃だったと思う。新聞の連載か何かに、当時のペンネーム(本名・俗名)瀬戸内晴美の名で連載物が載っていた。確か、不倫を題材にしたか、ポルノまがい(当時はそう思った)の連載だったと思う。こちらが文学的な価値の分からない若者にとっては、当時としては、堂々と読める色っぽい小説だったことから、親の目を気にして読んでいた記憶が残っている。

 

当時の不倫

 当時、1960年代は「不倫」と言えば、「悪」であり、「社会悪」のような言われ方をしたものである。その瀬戸内晴美さんが、不倫をして、小説を書いている、との話だった。そして、半世紀が流れ、今の時代、瀬戸内寂聴さんをマスコミが取り上げ、困った人の話を聞き、説法をし、立派な人であるとの報道を続ける。市中の人の若い女性のインタビューでも同様である。「不倫」は五教に反する行為であり、それを容認し、その人を賞賛しているのだ。そして、政府は、社会は、文化勲章まで差し上げているということである。

 

人は変わる

 人は変わる。今が立派であれば、他人は賞賛してくれるのである。日本の教育は、日々変わっている。進歩?しているのである。「他人に迷惑を掛ける行為」も、いずれ賞賛されるのかもしれない。「他人に迷惑を掛けない」という概念は、日本独特のものであるらしい。