ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(11.みんなで、一緒に)

昔の芸能人ショー

 私が子どもの頃、親たちは、良く、・・・一泊旅行と称して「鬼怒川・塩原温泉一泊の旅」などと、当時の国鉄(今のJR)などが企画したバスツアーなどに良く行っていた。私の家は、小売店を営んでいたが、こうした小さな町の商店街が集まり、芸能人(主に、歌手)を呼んだものである。「島倉千代子ショー」「三橋美智也ショー」ご招待などと銘打って、売り出し期間などを設けた。一方、住民は、こうした商店街で買い物をし、招待券をもらい、当日は、近くの学校の体育館などで、こうしたショーを近所の人たちと楽しんでいたものだった。

 

昔の国内旅行

 それだけ、その昔は、近所の人たちと一緒に楽しむことが当たり前になっていた。そして、遠くに、二泊三日の旅行にでもなると、誰もが行ける旅行ではないので、そういった時には、近所の人たちにお土産を買ってくるというようなことも、当然のようにやっていた。その後、核家族化が跋扈し、プライベートという言葉が金科玉条のごとく言われ始め、近所の人たち、親せきの人たちまで一定の距離を置くようになった。

 

昔の集団行動

 そして、この核家族の影響は、会社のリクリエーションにも大きな影を落とした。もう3、40年も前になるが、その頃、会社(工場)では年一回、運動会があった。工場従業員は、2000人以上いたが、これを4集団に分け、競い合う運動会である。1か月も前から早朝、昼休み、そして退勤後にみんなで練習を重ね、10月10日の運動会には、4集団がぶつかりあうのである。この様子は、海外で仕事している我々にもビデオで届けられたものである。

 また、課単位の旅行会も催された。20人弱の同僚が同じ温泉地などへ行き、名勝地をめぐり、宴会を催すのである。課にいる同僚の性格など、日頃計り知れない意外なところが垣間見えたりする機会にもなった。

 

なくなった集団行動

 そうした集団行動も、20年前には、全てなくなっていた。新しく入ってきた社員たちには、こうした集団行動は不評だったのである。それが、不平や不満となった。こうした集団行動より、家庭での行動を優先したいという希望が噴出した結果だった。

 

残る集団行動

 私が、フィリピンに赴任が決まり、何度も、日本/フィリピンを往復する頃であるから、もう15年以上も前になるが、その頃、羽田空港・成田空港の搭乗手続きカウンターでは、大きな荷物を抱えた人たちが目立った。こうした人たちは、その前、つまり、20年以上も前にもいた。フィリピン人の女性たちだった。いわゆる、ジャパユキさんの一団である。

 一度、現地で、こうした現象は何で起こるのかをフィリピンの人達に聞いてみたことがある。あの荷物は何だと。すると、あれは、家族は勿論、日頃お世話になったご近所の方々へのお土産なんだそうである。もうすっかりなくなった、数十年前の日本がフィリピンにはあったのである。このお土産は、彼女たちの留守中、親せき・ご近所に自分の家族がお世話になったお礼も兼ねてたものだったのである。

 

嫌な事件

 今、日本では、嫌な事件が多い。列車内での殺傷事件など最たるものである。こうした特定の人を狙った犯行でない事件も多い。団体行動で発散するエネルギーが、どこへも持っていきようがなく、他人を傷つけてしまうというような事件に発展するのである。家庭主義でもいい。でも、上手に発散できる人とできない人がいるのである。

 

昔を思い起こさせるフィリピン

 フィリピンは、フィリピン人は、幸か不幸か、まだまだ団体で行動しなければならない環境にありそうである。フィリピンばかりでない。アフリカなど貧しい国は全部そうである。裕福になると、より幸せを求める。そして、贅沢を引き起こし、自分勝手になる。そして事件が起こる。こうした悪い循環を断ち切る手立てはきっとある。

 フィリピンのような生活を懐かしむのは、私たち年寄りだけだろうか。

    (つづく、・・・)