ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

耳鳴り

塩竃神社

 今日は、忙しかった。ブログを書くことも忘れていた。私の地域には塩竃神社という地域の守り神がある。宮城県塩竃神社から、その昔分社した神社である。地域の神社だから、社務所などがある大きな神社ではなく、小高い小山の中腹に太平洋を見下ろすように建てらた神社である。元旦には、ここで初日の出を眺めたり今でもしている。

 

神社の清掃

 その神社を、地域の有志で年に数回清掃をしているが、今日はその清掃日だった。丘の斜面を草刈機で草刈りをしたり、境内に積もった枯葉を箒で掃いたり、参道になっている石の階段を履いて綺麗にしたりするのである。清掃が終わると、少しは、神様のために何かしたような気になって、気分的にも清々しい気分になるから不思議だ。

 

旨く選別する補聴器

 その仲間と色々話しているうちに、その人の耳に補聴器が着いているのが見えた。前々から耳が幾分遠くなり、興味があったので色々と聞いてみた。色々なことが分かった。補聴器のメーカーは日本ではなく欧米であること。日本製は劣るらしい。そして彼が付けている補聴器は、30万円だそうである。前に10万円の補聴器を買って付けたことがあるが、それだと声や音が大きくなるが、音の方が大きくなってうるさいそうである。高い値段だと、音か声かを選別して声だけを大きくするらしいのである。うまく出来ている。そしてボタン電池で動くらしい。1週間で交換すると言っていた。また、一度補聴器を付けてしまうと、外すことが困難になるらしい。

 

耳鳴りと人間の機能

 そして一番興味を覚えたのが、「耳鳴り」に対する話だった。補聴器を買うときに医者に相談したら、耳鳴りについて話をしてくれた。

 人間の耳は、声や音を聞くように出来ている。だから、耳が遠くなると、音や声が聞こえなくなるので、聞こうとして、耳鳴りがするのだそうだ。つまり、聞こえない音や声の代わりに、常時、「耳鳴り」を引き起こして、音を出すという、人間本来の機能の結果だそうである。それが耳鳴りだ。

 それは本当か、と初めて聞く説だったので、彼に聞くと、医者が言っていたので間違いのではないかという。じゃー、補聴器をつけて音や声を聞こえるようにすると、耳鳴りはなくなるのか、と補聴器をつけている彼に聞いてみたら、昔は耳鳴りがしたが、補聴器をつけてから、耳鳴りが気にならなくなったというではないか。

 

補聴器の着け時?

 耳が遠くなったときに、耳鼻科に行って医者に聞くと、補聴器を着けるような程度では、未だないから着けなくてもいい、と言っていたので、それほど不自由ではないのでそのままにしていた。ところが最近、やはり着けた方ががいいか、という事件が起こった。

 日本語を外国人に教えているのだが、その中で、日本語能力試験というのがある。この試験は、語彙、読解、聴解と三つの部門に分かれ、トータルで半分とか60%とか、それぞれの等級で取得しないと受からない試験なのである。この前の土曜日に、試験を受ける外国人に「聴解」の模擬試験をやらせた。会話を聞かせて、会話の内容を聞く試験である。ところがである。この日本語がうまく聞き取れないのだ。学習者でなく、私自身がである。日本人だから会話の内容を把握して、細部まで聞き取れなくても問題そのものは出来るが、かなりショックだった。

 

やっぱり買おう!

 これまでも、外国人に教えていて、質問を受けて内容が聞き取れないがゆえに、聞き直すといったことも何度かあり、補聴器をと考えていたところだったので、耳鳴りの話を聞いて、やっぱり、補聴器を買う気になった。

 それにしても人間の体は旨くできているのものだ。うまく出来ているが故に、耳鳴りという厄介なものを引き起こすのである。同様に、人間関係において、あまり気が利きすぎるのも良くないのかも、と思ったりした。もっとも、私はどっちだろう?と考えさせられた。