ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

人徳者

  今朝は、雨だ。庭の広葉樹の紅葉も、雨に濡れて可哀そうである。さて、何を書こうかと考え、時々書いているメモを見て、美徳について書いてみようか、と思ったが、前にも書いたような気をして、10日位前まで自分のブログを振り返ってみたがそれらしいのはない。勘違いだったのか。まあ、いい。書いてみよう。

 

地蔵堂のお賽銭

 私が住んでいる地域には、昔、公民館と言った建物があり、その前に地蔵堂の建物がある。私のおばあさんの頃には、この地蔵堂の前を通りかかっては、手を合わせ拝んだ姿を何度も見かけたものである。しかし、最近は、とんとそういった姿を見かけたことはない。

 ところが、今年の地蔵堂大掃除の時に、賽銭箱を掃除したら、匿名で10万円が封筒に入って、投げ込まれていたというではないか。今でも、手を合わせ、御賽銭を上げている人がいるのか、と嬉しくなったり、ビックリしたりだった。

 

地域有志の寄付による公共物

 そして、向かいにあった公民館は、農村集落センターとして、数十年前に建て替えられた。それでも、もうあちこちが痛み出している。その庭には、建て替えた時の貢献者の名前、建物内には、寄付者の名前と寄付額が書かれ飾ってある。それを見ると、とうの昔に亡くなった方々のお名前などが書かれている。その寄付金を見てビックリである。殆どの人が数万円、そして高額者は何十万円の寄付額である。今のお金の価値と違い数十年前の価値だから、今なら百万円位の価値があるのかもしれない。

 

今どきの寄付

 話は変わって、その前にある地蔵堂も屋根が傷んできた。見積を取ったら、数十万円かかるらしい。昔なら、地域の人徳者に相談すれば、その位のお金は容易に寄付してくれたのかもしれない。しかし今は違う。そこで地域役員で出した結論は、一般の住民は千円以上の寄付、役員は五千円と決まった。

 そして,寄付帳を回した。当初心配した寄付をして頂けない人がたくさん出るのではという危惧は消え、殆どの住民は千円、役員は五千円の寄付となったのである。

 

寄付に見る昔と今の違い

 それにしても、昔はなぜあんなに寄付が集まったのだろうかと考えてみた。昔は、地域、地域に、人徳者というか、地域の長のような人が数人いた。その人の周りには、昔でいう子分のような存在の人で取り囲んでいた。だから、長が一番多く寄付し、その長が、いくらいくら出せと言うと、その子分たちはそれを出した。その地域の長になるのは、土地を持っている人や資産家だった。そして、そのような人は、地域の区長にもなったし、PTA会長にもなり、時として、町長や市長にもなった。つまり名誉職に就いたのである。

 

平等と名誉職

 そして、時代は新しくなり、平等が声高に騒がれ、そういった地域の長もいなくなった。寄付金の額をリードする人もいないくなった。名誉職に推薦される人もいないくなった。どんな人でも能力さえあれば、町長でも市長にでも、国会議員でもなれる時代になった。地域の、そして地域住民に支えられた名誉職ではなく、今は、個人の役職による名誉職である。役職が終わればただの住民になるのだ。昔の名誉職はその職がなくなっても、地域住民から慕われ、崇められたのである。

 

人徳者

 今、NHK大河ドラマ渋沢栄一を放送している。渋沢栄一に反対した住民もあったろうとは思うが、あのような人物が地域地域にいたのである。大多数の人が賛成し、その人が住民をリードしていった。そういう人には、個人の利益ではなく、必ず、理想の国家像、地域像みたいなものを持ち、国民、住民を幸せにするという最終目標を持っていた。そういう目で今の政治家を眺めてみる。

 難しいことは分からないが、それを「徳」というのだろうと思っている。