ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(17.セクハラ)

 コロナも大分落ち着いてきた。私が住む茨城県では、昨日で3日連続感染者ゼロ。隣の福島県・栃木県も時々ゼロという状態が続いている。そして、千葉県も一時は100台の大台に乗ったが、今や一桁である。そして埼玉県だって、たまに10台が出るが、殆どが1桁台になった。茨城県の周りの県はこのように気にならないレベルになってきた。本当に第6波は来るんだろうかと、最近は考えるようになった。でも、怖い。

 サァー、今日は、少し色っぽい話をしよう。

 

日本のパワハラ文化

 日本では、セクハラならぬパワハラも良くある。上位の人間が地位と権力を使って相手を自分の言いなりにする行為である。武士の時代や明治時代ではよくあった。明治ばかりではない大正・昭和の私が小さい頃迄あった。女中や下男などと言われ、ご主人様の言いなりになる女性や男性がいたものだった。土地持ちにとっては、小作人と称して地主の田畑を管理する人さえいた。これらの人々は、言ってみればパワハラそのものである。それが昭和の30年代頃には、平等や人間の権利などが声高に叫ばれ、言い方も変わってきた。

 お手伝いさん、使用人など、相手との地位を連想させるような言葉は避けるようになった。使用人や労働者が自分の権利を主張ができるようにもなった。

 

日本のセクハラとフィリピン

 男女の関係も同様である。男尊女卑の習慣があった日本では、なかなかその風潮から抜け出せず、今でも一部は残っている。その男尊女卑とはちょっと違うかもしれないが、フィリピンではいろいろな場面でそういった局面に遭遇する。

 最初にびっくりしたのは、女性を選ぶという行為である。優秀な人や綺麗な人、性格がいいと思われる人を選べるのである。日本ではそういったことは、一種の秘め事のような扱いをしてきた人間にとって、この女性が良い、と自分の希望を公に晒すのは、何とも気恥ずかしく感じたものである。

 

女性を指名する

 そういった場面は、水商売で良くある。自分の相手をしてくれる女性を指名できるのである。カラオケに始まり、フィリピンにある1対1で何かをしてもらう水商売は殆どがそうなっている。水商売に関していえば、東南アジアの国々も同様であった。日本的に言えばセクハラになるが、恐らく、こうした国々では、女性の個性を強調した行為なんだろう。つまり、綺麗な人、性格の良い人、頭が良い人などそうした人は、当然の権利として優遇されるのは当たり前という考え方である。

 

セクハラを勘違いしてしてない?

 選挙権が奪われるわけではない。病院に入れないわけではない。相手が気に入るか、気に入らないかは、1対1の思惑である。それをセクハラというのは、確かにおかしいと言えばおかしい。誰と結婚しようが構わない。気に入った人と結婚するのである。人気のある女性が引っ張りだこにになるのを不平等だ、と言う方がおかしい。そして、前にも上げたが、会社の旅行会で女性の水着ショーである。ゴルフのキャデーもそうだ。自分の好きなキャデーを指名できるのである。美人で、気立ての良い、コースを良く知っているキャデーは早い者勝ちで取り合いになる。もっともセクハラは不利な相手が納得しなければ成立しない面もあるが、フィリピンの場合、そうしたことに異議を唱える女性はいないのである。

 

勘違いする男と勘違いさせる女

 カラオケでもゴルフでも、可愛い若い女性が、自分に纏わりつくので、鼻の下を伸ばしニヤニヤして、自分がもてていると勘違いしがちだが、それは全くの誤解である。どんな男にも同様の扱いをするのだ。相手は、男に媚を売るのではなく、財布に媚を売っているのである。

 この国にはセクハラなんてあるのだろうか、と考えさせられる。しかし一方で、女性は男を見下している部分もあるのでイーブンの関係かも知れぬ。

   (つづく、・・・)