ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(19.モノのありがたみ)

技能実習生のボーナス

 技能実習生たちと話す機会があった。そこで、ボーナスの話をした。すると、ボーナスの話はしないでくれという。理由を聞くと、技能実習生にはボーナス支給がないそうである。でも、これは企業によって異なるとも言っていた。

 しかし、技能実習生から特殊技能というワンランクあがった職種になれば、ボーナス支給もあるというのだ。今や、技能実習生は企業にとって貴重な戦力である。その人たちに、普通の従業員並みに、雀の涙でも、支給してあげれば歓ぶのになーと、ついつい甘い考えをしてしまった。

 

子どもの頃のボーナス時期

 日本では、12月に入ると、早い会社は12/10頃からボーナス支給が始まる。私の家は、小売店をやっていたので、ボーナスを支給される親の気持ちなどはよく分からなかったが、それでも12月になると、ボーナス商戦で、売り出しをやるので、そういった意味でボーナス時期は子供なりに理解していた。会社員のおじさん達が嬉しそうにボーナスが入ったと顔をほころばす様子を見ると、もらっていないこっち迄嬉しくなったものだ。

 

現金支給のボーナス

 そして、私が会社員になってボーナスを支給され、分厚い封筒に入った現金をスーツの内ポケットにしまい込んで家に帰る。何とも心豊かに幸せな気持ちにさせられたものだった。その頃、つまり、昭和40年代後半、1975年頃、には、スーツの内ポケットを狙う「スリ」や「強盗」などが跋扈した時代でもあった。半世紀前である。この頃から計算機、パソコンといった機械化と称する波が、現場作業ばかりでなく、事務作業にも及び、「振込」という形態に変わっていった時期でもあった。それまで分厚い封筒で心の豊かさを実感し、家に帰っては、その分厚い封筒を家族に見せ、お父さんの存在を見せつける場も無くなっていった。

 

フィリピンのボーナス支給

 さて、一方、フィリピンである。私が赴任したのは2003年11月であるから、それから4半世紀が過ぎていた。

 現地会社の通用門に従業員が溢れている。そして、皆一様に30kgの米袋を担いでいる。ボーナス支給日の退勤時の風景である。フィリピンの私の会社は、ボーナスにお金の他にお米を支給するのである。会社は、工業団地内にあったが、日本企業の現地会社は、結構、このお米の現物支給が多かった。当然、従業員たちはニコニコ顔である。なぜ、こうした現物支給が行われるかである。お米が買えないからではない理由があった。

 

なぜ、お米が支給される?

 前にも書いたが、(一般的に)フィリピン人は貯金というものをしない。ある現金はパッパッと気持ちよく使う。そして、なくなったら、知人友人からお金を借りる。もうちょっと行くと、日本でいうサラリーマン金融から借り入れをするのである。そして、ボーナスを支給されると、そのお金は家族まで届かず、借入先に直行してしまうのだ。家族はボーナス日でも何も受け取れないということが起きるのである。そこで、現物支給となる訳だ。一番食べるのに大事な「お米」の支給となるのだ。現物であれば、家まで届き、家族も潤うのである。

 

日本のお米配給制

 日本でも昭和30年代半ばの頃迄、「米穀通帳」というのがあり、お米の配給制度というのがあった。これはお金を払ってお米を買う訳であるが、必要以上に買えなくなっていた。しかし、時代が進むにつれ、自己流通米が出回り始め、昭和40年代には、そうした「米穀通帳」も機能しなくなっていった。今は、モノ余りの時代であり、お金を出せば何でも買える時代である。「モノのありがたみ」が分からなくなっている時代である。買って手に入れたものは、誰に感謝することなく、使い、食べるのである。

 

「モノ」のありがたみ

 フィリピンでは、家族の誰かが働いて、お金を持ってきて、それを「使えるありがたみ」、そして、そのことで、会社からお米を支給され、お米が食べられるという「モノのありがたさ」を実感できるのである。一方、日本は、モノが溢れ、お金で何でも処理してしまう、「お金」至上主義のような、心のない感激の薄い時代になってしまった。

 もう一度、日本も各家庭で、「働けるありがたみ」「お金のありがたみ」「モノのありがたみ」を話し合って、若い世代に、特に、子どもたちには教えてあげる機会を作るべきではないのだろうか。

 フィリピンにはそうした環境がまだまだある。