ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(24.二人のための結婚式)

戦争の爪痕の残らないフィリピン

 昨日(12/8)は、太平洋戦争が始まった日である。つまり真珠湾攻撃が行われた日だった。マスコミもこぞって、この話題を取り上げ、色々な国の人の話を聞いていた。勿論、全部が全部ではなかろうが、奇襲攻撃だったにもかかわらず、米国人は今でも恨みに思っている人は少ないようである。韓国の人々が、今でも拘っている姿とは対照的だった。そういった意味で、フィリピンに5年半にわたる滞在でも、そういった感情を持つ人に出会ったことは一度もなかった。

 

日本の結婚式

 さて、今日は何の話題にしようかと考え、おめでたい話、つまりフィリピンにおける結婚式の話をしてみようと思う。

 その前に、比較する意味で日本の結婚式について少し触れたい。私たちが結婚する頃1960、70年頃より前は、自宅で結婚式を挙げる人も多かった。もっとも、田舎なので家も大きいし、近所とのつながりも多かったことからそのようになっていたのだろう。その後、家も小さくなり、核家族も増えてきたことで、結婚式場でする結婚式が多くなっていった。結婚式や披露宴もセットで行うものであり、ご近所さんや親せき、友達もその会場に集まったのである。この頃になると、それまでいた仲人と言われる人たちがいない例も多くなっていった。そして今である。

 

フィリピンの結婚式

 フィリピンは、隣近所、親せき、友達を大事にするお国柄である。一度そうした結婚式に出たいと思ってはいたものの、立場上、一人の従業員の結婚式に出てしまうと、他の人にも出ない訳には行かなくなる。そういうことで、招待状はもらうものの、何がしかのお祝い金をお渡しし、丁重にお断りしていた。帰国時期が決まり、あと数か月に迫った頃だろうか、社内で重要な仕事をしていた女性が結婚することになった。

 

結婚式の招待状

 いつもの通り招待状を渡された。日本の招待状のようなハガキではなく、封書で、しかも巻紙になっている。詳細は忘れたが、延々と仲人の名前が書いてあったことを覚えている。日本のようにご夫婦一組ではないのである。スポンサーと呼ばれる人たちである。辞書を引いてみた。保証人とか代父母といった意味が書かれているので、こうした意味だろう。

 

結婚式場と披露宴会場

 そして、実際の結婚式である。フィリピン人はキリスト教なので普通の教会で式を挙げる。そういえば、1974年10月にハワイの教会で、我々も結婚式を挙げたっけ、と思い出した。そして結婚式が終わると、日本で言う披露宴会場へ直行である。普段、レストランとして利用するようなところで、その中庭を使って行われた。みんながそれぞれにめいめいの移動手段で移動をする。会場に着くと、入り口には、プレゼント台が置かれ、各自、台の上にプレゼントを置いていく。特に受付などがある訳でもない。そういえば、日本の「・・・様、結婚披露宴」などと言う表示は一切ない。そして、それぞれ席が決まっているわけでもなく、好きなところに座る。

 

披露宴の挨拶

 いよいよ披露宴が始まった。と言っても、日本のように、プログラムがあり、誰々の挨拶の後には、誰々という風に決まったルールというものがなさそうなのだ。ただ、最初は新婦の母親の挨拶から始まったと記憶している。日本なら、「・・・家を代表して」という司会者の案内で、新郎の父親から順番に挨拶するところだが、新郎の両親もいるが、一番よく知っている、挨拶のできる人という選定基準で決まったのか、新婦の母親だった。

 

披露宴の進行

 その後も、元々エンターテイメントに優れたフィリピン人達である。楽しく、歌踊り、そしてゲームなどで盛り上がる。私なんかも、日本であれば、会社の上司挨拶などと言われて何か話すところだが、自分から、話したいと言わない限り、話さなくていいらしかった。ただ、日本人の下手な英語を聞くより、楽しくやった方が結婚披露宴らしくていいと思ったのも、この時だった。

 

こころに迫る結婚式

 日本も、最近は大分くだけた披露宴になっているようだが、ここまでくだけてはいないようだ。社内旅行でも感じたことだが、主催者はもとより、みんなが楽しく過ごす、というのが基本のフィリピンらしい結婚式だった記憶がある。若い仲間たちが、そして家族が、知り合いが、二人の結婚を本当にお祝いしているという、温かい気持ちになったものだった。日本も、「・・・家の結婚式」ではなく、結婚する二人を大事にする、心温まる結婚式にして欲しいと思う。

    (つづく、・・・)