ミドさんのブログ

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イムジン河

フォークソングイムジン河

 「イムジン河 水清く とうとうと流る ~~ 我が祖国 南の地 ~」と歌う、イムジン河というフォークソング。フォーククルセダーズが歌った歌だ。1970年頃のフォーク・ブームの時に、美しいメロディに惹かれ、当時、良く歌い、口ずさんでいた。

 その話題が、「アナザー・ストーリー」という番組で取り上げられた。当時、この歌は、朝鮮民謡だったか、作者不詳だったと記憶するが、実際は、北朝鮮に作詞者・作曲者が実在する歌だったそうだ。そして、それが知れるとレコードが発売禁止になったそうである。しかし、歌自体はそれ以降も歌われていた気がする。若かったからか、当時、そんな経緯も知らず口ずさんでいたのである。

 

歌詞に現れる悲しい歴史

 歌詞を見てみるとすぐ分かる。特に2番の歌詞である。「北の大地から 南の空へ 飛び行く鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を分けてしまったの」という歌詞だ。つまり、朝鮮半島が、38度線で分断され、家族がわかれ離れになり、その悲しみを、渡り鳥が自由に行き来する姿になぞらえて、故郷に思いを馳せるという歌なのである。今でも、口ずさむことが出来るほど懐かしい歌だ。

 

朝鮮半島の歴史

 北朝鮮・韓国の歴史をひも解いてみた。元々は、第二次世界大戦前に日本が統治していたころに遡る。日本が戦争に負け、当時統治していた朝鮮半島をどこが統治するかでアメリカと当時のソ連が争った。ソビエトが北から侵略して統治されるのを嫌ったアメリカが南から押し返し、朝鮮戦争という姿で38度線を境に争った。その結果、38度線で一時休止という妥協案で今の状態になった。

 そして、「イムジン河の歌」である。当時の北朝鮮側、韓国側の為政者は亡くなってしまったが、今ではそれぞれ統治はしているものの、「イムジン河」のままである。

 

家族・親せき離反

 この経緯を見ると、朝鮮戦争終結宣言をという朝鮮民族の気持ちは非常に分かる。政治的な思惑は別にして、元々、同じ民族・生計を同じくした親せき・家族がイムジン河(38度線)を境に、分かれ離れになっているのである。従妹が、叔父さんが、兄弟が、隣町(北朝鮮)にいるのである。その悲しさ、その切なさは、並大抵のものではないだろう。正に「イムジン河」である。

 

南北統一

 比較論では語れないのは分かっているが、北朝鮮拉致被害者のような人たちが、韓国・北朝鮮にはたくさんいるということである。金正恩の今のやり方が決して良いとは思わないが、それでも、やはり南北統一が自然の姿であろう。どうして、当時の当事者、アメリカ・ロシアの為政者たちは、朝鮮民族のために統一できるように、一役買ってあげられないのだろうか。統一の後、誰が為政者になろうが、朝鮮民族に任せたらいい。自由主義国ができるか、社会主義国ができるか、共産主義国ができるか、それは、朝鮮民族の問題だと割り切れないのだろうか。

 

戦争のない世界

 戦争は、こうした悲劇を生む。日本の国土が半分に分断されなくて良かったと本当に思う。一歩間違えば、当時のソ連アメリカで、北日本と南日本で、朝鮮半島のように分断される可能性があったかもしれない。そう考えると恐ろしい限りである。

 今、憲法9条をはじめとする改憲論議がある。どのように変えるかは政治家に任せるにしても、戦争をしない世界にするような憲法にしてもらいたいものである。