ミドさんのブログ

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フィリピンの魅力(24.世界一便利な乗り物)

 今日は、1月7日、七草粥だ。しばらくぶりにお粥を食べてみた。正月疲れにお粥とは良く言ったものである。何となく、体が蘇った感じがした。たまにはお粥も良いもんである。

 

フィリピンの乗り物

 さて、今日は何を書こうか。そうだ! フィリピンの話題だった。今日は車の話をしようと思う。フィリピン人は、車の使い方が絶妙である。硬軟上手に使い分けるのである。「硬」とは、大きなバスやジープニーといった乗り合いバス。「軟」とは、トライシクルやペディキャブといった、2,3人の小さな乗り物である。こういった乗り物の話を書いてみたい。

 

ジープニーという乗り物

 バスは、基本的に日本でいう長距離バス。しかし、路線バスといったものはない。その代わりをするものがジープニーである。どこでも手を上げれば止まってくれる乗り物。ジープという乗り物のエンジン部分とマイクロバスの乗車席をくっつけたのが、ジープニーという乗り物だ。座席は、進行方向に直角に横座りで、両側に対面式についている。片側5,6人が座れる。従って、両側で10人、12人は乗れる。

 混んでいる時は、真ん中の部分にも立って人が乗るので、20人程度は乗れるだろう。立って、というが立つほど高さはない。1.5m弱だろうか。私のように背が高い人は屈んで立つことになる。ただ、フィリピン人は小柄なのでそれほど支障はないようである。

 

ジープニーの乗り方

 当初、乗り方が分からなかった。乗ること自体は良いとして、どこをどう走り、出発点はどこで、どこを通ってどこまで行くか、皆目見当がつかないのである。目の前のジープニーに乗れば目的地に行くという保証はない。色々聞いて分かった。ジープニーの車体の腹に、出発地・到着地・経由地の通りなどが書いてあるのだ。しかし、これとて、町の名前を知らない人間にとっては、ただの英語の地名である。だが、それが分かれば、こんな便利な乗り物はない。世界に誇れる乗り物だろう。

 空いている時は良いが、混んでくると先ほどの座席が一杯になる。若い女性も年老いた男も隣り合わせになる。腰がぴったりとくっついて座らなければならない。でも、若い女性も嫌だろうが、日本のように睨んで見られるというようなことはない。フィリピン人は、人同士仲がいいのだ。助け合わなければ生活が出来ないことを知っているのだ。また、混んでいることを良いことに、若い女性のお尻や胸を触るような不埒な男性はいないのである。

 

料金の払い方

 非常にお互いが協力的だと思わせるものに、お金の払い方がある。運転席と乗車席はしっかりした境があり、行き来は出来ないが小さな窓が開いて、運転者と話すことが出来る。乗車賃は、運転者に渡すのが基本。空いている時は、それができる。しかし、混んでくると直接、運転手に料金を渡せない。そこでどうするか。一番後ろで乗り込んだとすると、お金を前の方の乗客に渡すのである。すると、その乗客がさらに前の乗客にと渡り、そして運転手に渡す。おつりがある場合は、その逆で運転手から何人もの乗客を経由し、戻ってくる。いくら貧困であっても、途中でお金が無くなることはないのだ。

 

玄関先まで乗れるその他の乗り物

 トライシクルという乗り物は、バイクに座席をサイドカーのようにつけたもの、ペディキャブは、それが自転車になったものである。基本的には2人乗りである。フィリピン人は小柄なので2人乗れるが、私のような大柄では一人しか乗れない。もっとも、子どもなら膝に乗せて乗ることが出来るかもしれない。

 従って、遠くに行く場合はジープニー、近場はトライシクル・ペディキャブ、更に遠距離に行く場合はバスと上手に使い分けるのである。ペディキャブがあれば、基本的には自分の玄関先まで行けるので、フィリピン人は歩かない。どんな距離でもこうした乗り物を使うのがフィリピン人である。貧困だと言っているのに、乗り物代にお金をかけるのはと、考える向きもあろうかと思うが、フィリピン人は、ワークシェアリングの考え方が徹底されている。運賃が払えるものは出来るだけ乗ってあげるという考え方である。他人思いなのだ。

 

自転車・バイクのないフィリピン

 そして、どんなに遠いところでも、ジープニーを乗り継いで行くから、時間は乗用車の2倍位かかるかも知れないが、どこへでも安価に行ける。だから、乗用車などという高い乗り物は必要ないのである。ちょっとだけ時間はかかるが便利な乗り物がフィリピンにはある。自分自身で運転する、自転車・バイクの類の乗り物はフィリピンには殆どない。一つは、こうした便利な乗り物があるからである。もう一つは、ワークシアリングの考え方が発達しており、乗り賃ぐらいある人間は、乗り物を使い運転手に払うのである。そしてもう一つは、自分で運転する乗り物に乗る=乗り賃も払えない貧乏な人間、となることから、そうした乗り物には乗りたがらないのだ。

   (つづく、・・・)