ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

下宿のおばさん(2)

 学生時代4年間お世話になった下宿のおばさんに、ひょんなことから電話したくなった。前回、連絡先が分かって、電話することになるまでを書いた。今日は、電話した結果を書く。

 

おばさんへの想い

 学生時代に下宿した同じ仲間に、白木君と柿崎君、それと私がいた。前回書いたように、当時、下宿していた学生は10数人いたが、特に、この3人は、おばさんと親しく話もしたし、二人いた娘の、由美ちゃん、理恵ちゃんとも兄妹のように話した。恐らく、おばさんにとっても、特別な存在だった3人のように思う。息子のような接し方をしてもらったと記憶している。

 

お久しぶり!

 こころを決めて、電話する。

「もしもし?」「はい。」 そっけない返事。 間違ったかな? と思いながら、再度、「もしもし? 緑川ですが・・・」。 すると、しばらく置いて、「どちらの、緑川さまでしょう?」ときた。 誰かなー、若そうな声だなー。「あのーーー、昔、学生時代に、千葉の下宿でお世話になった、緑川と申し・・・」 とそこまで言うと、弾んだ声で、「、、、緑川さん! お久しぶり!」と来た。さっきから、名前を言っているではないか。

 

田舎に移住

 色々聞いてみると、電話を受けたのは、長女の由美ちゃんだった。もう67歳になったという。声は若かったが、おばさんだ。姪っ子かなと思い描いていたので、若いと思ったのかもしれない。でも、声は若かった。なぜ、叔母さんの家に住んでいるのだ?と思ったら、元々、おばさんやおじさんの家が、千葉で下宿をやっている当時から、同じ県内の現在の土地に家を持っていたらしく、下宿を辞めておばさん達はこの田舎に引っ越したが、長女の由美ちゃん夫婦も、その後、2世帯住宅を作り、一緒に住みだしたことが分かった。

 

おばさん、おじさんの動向

 「ところで、おばさんはいる?」というと、「実はね、母は、今月の14日が命日で6年になるの。80なん歳で亡くなったの。父も、その前に、90なん歳で亡くなったの。」と言うではないか。遅かったか、と思ったが、自分の不義理を恥じるしかない。思い直して、色々のことを聞いてみた。下宿を出る頃は中学3年にはなっていたろうから、色々なことを記憶していて、私の母のことも覚えていて話してくれた。

 

おばさんの老後

 由美ちゃんが同じ下宿人(我々が下宿を出てから入ってきた下宿人)と結婚したことも初めて知った。おじさんもおばさんも女の子しかいなかったので、お婿さんを自分の息子のように可愛がってくれたらしい。旦那さんは、千葉の同じ公務員になり、おじさんとは職種は違うものの同じ公務員同士で、アドバイスすることも一杯あったのだろう。そして、二世帯住宅で、娘や可愛いお婿さんと一緒に住めて、おばさん夫婦も満足な一生を送られたに違いない。ちょっと安心した。

 

声は変わらない!

 由美ちゃんは、半世紀も経ったというのに、全く声が変っていない。子供の時のままの声だ。半世紀が完全にタイムスリップした。妹の理恵ちゃんはどうしたのか気になった。まだ小学生でしかも体も小さく華奢だったし、おてんば娘だったこともあり、下宿人のアイドルみたいな存在だった理恵ちゃん。今は、千葉の内房沿岸部に住んでいるらしいが、キャビンアテンダントになり、パイロットと結婚し、5人の子どもをもうけたらしい。CAをしていた関係でアメリカの旅行に両親を連れて行ったのだろう。その時の電話が、前回のブログで、白木が話した逸話だった。

 

ずっと続く思い出

 当時、由美ちゃんが我々に感じていたことなどや当時のおじさん、おばさんの様子を夢中になって話した。今は、下宿屋をしていた場所は人手に渡したらしいが、50年経った今も、目の前に、あのおばさんに似たちょっと太めの由美ちゃんがいるような気がして、話が続いた。二度とあの若さは戻ってはこないが、思い出はずっと持ち続けられる。年取ってから、学生時代の友達に思い出を増やしてもらったことを感謝した。

 おばさん、おじさん、安らかに。