ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

綻(ほころ)びのある世の中

空気振動による津波

 昨日の津波騒動(と言っては、失礼かと思うが、敢えてこの言葉を使う)は、一体どうしたのかと思い、ニュースなどに注目した。色々な研究者が意見を述べられていたが、彼らでも、未だ、分らないことがあるという。

 一つの見解だろうが、トンガで起きた海底火山の爆発に二つの現象が考えられるそうである。地振動と空気振動である。地振動から起こされたのは、トンガ近くの国々への津波となった。一方、空気振動(空振)は、遠く離れた、北・南アメリカ大陸沿岸、日本、東南アジア沿岸へ、津波となって押し寄せたというのである。

 

万全ではない計器

 新聞の解説を読んでも良く理解できないが、気象庁の会見から、予想外の言葉が飛び出した。太平洋の海の中には、あちこちに津波を感知する計器が設置されているらしいが、それが全部察知しなかったのだそうだ。じゃーなぜ、津波があると分かったか、ということだが、日本の領土になっている一番遠い島で、津波を察知し、慌てて津波情報を出した、と言うのが真相だったようだ。

 ところが、津波情報は、色々な計器に連動して出されるようになっており、その感知計器が作動していない訳だから、連動は成り立たず、手動でデータを入れて処理したため、警報を出すにも時間もかかり、解除にも時間がかかったというのが真相らしい。

 

携帯電話の重要性

 昨日もどこかで以下のような記事を読んだ。今は携帯電話の世の中である。ご存知のように、電車に乗れば携帯電話、どこかで待ち時間があれば携帯電話。そして、車の運転ばかりではなく、自転車を走らせながら携帯電話という有様で、今の若者(ばかりではないかもしれないが)は、携帯が無かったら生活が立ち行かなくなるらしい。また、一方で、ポツンと山の中で、地産地消ならぬ、自産自消を地でゆく若者夫婦がいたりする。そういう自分も、何でもネットで調べ、広辞苑などは戸棚の奥にしまい込んだままだ。

 

津波の真相

 つまり、情報化時代であり、隣のお店で売っている品物を自宅にいて携帯で調べる時代なのである。同様に、気象庁も同様になっているという現実である。予算を使って、計器は設置した。そして、それと地震システムとの連動も完成した。あとは地震が発生するのを待つばかりである。そして、火山が噴火した。火山の震動は地震動となって伝わった。また爆発の際の空気振動も伝わった。でも、海を、波として伝わる振動は、波高計に現れるはずと思い、データに出ないので、「津波の可能性は薄い」と発表した。すると、遠くの島で津波が来た、という。信じて疑わないことが起きたのである。そりゃービックリ仰天である。

 

他人との交流

 話は変わるが、私は、長い間「工事」に関係してきた。工事そのものより、むしろ、工事の段取り作業に従事してしてきたと言った方が正しいかもしれぬ。工事「作業」そのものは、力作業でもあり、機械化が進んでも力作業であることに変わりはない。しかし、段取り作業は、「心」の作業の部分が多くある。そこには、もって生まれた「感」や相手の心の変化を見据える洞察力、推理力、観察力、そして相手の力量を見極める力などが必要になってくる。ベテランはベテランらしい仕事のできる分野でもある。

 

綻びのある人生

 何もない土地に放り出されて、どうやって生き延びるか、どうやって生活してゆくか、どうやって人と接していくか、どうやって連絡を取り合うか、等など、携帯を持っていなくても、方法はいくらでもある。兄弟はいない、友達と話をしない、学校はコロナで行けない、リモートで授業など等、人、子どもが孤立する世の中でもある。医者になりたいが、自分が東大医学部に受かる実力がないと他人を傷つけることを考える若者がいる。なぜ、別の学校、別の道、別の能力を見つけることが出来ないのだろうか。

 全て、しっかり決められたレールに乗っている間は良い。でも一歩はずれると、そこからの応用が利かない世の中である。人間も機械も完全などと言うことはない。どこかに綻びはあるものだ。綻びがあっても、生きていける人間、世の中にしたいものである。