ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

畦道が無くなった意外な理由

 昨日は、ブログを書くのを忘れた。というのは、正しくはない。書く気になれなかったというのが真相だ。500字ほど書き終わったところで、用事で出かけ1日中いなかったためである。ブログの字数は、1500字から2000字の間と決めて書くようにしているが、書きたい内容がまとまらない状態だった。でも、昨日の出来事で書くことが増えた。

 

農業委員の仕事

 前にも書いたが、農業委員は、耕作放棄地を農地に戻すお手伝いをすることも重要な仕事である。普通は、放棄地状態にしている耕作者・地権者に対し、注意を促し、改善して頂くよう勧告するのが仕事だが、法的な裏付けがなく、なかなかやって頂けないのが実情。4年やっていて初めての経験だが、耕作放棄地を農業委員自らの手で、田んぼに戻す作業を昨年暮れから取り掛かっている。元々、ブドウ園だった3反5畝(約1000坪)の土地である。昨年中に上物の棚、杭、柱、番線などは全て取り払った。しかし、ブドウの木は、根っこが長く一筋縄では取り除けない。その根っこどりを昨日、5人の農業委員で重機を3台も使い実施したのである。

 

効率悪い年寄の作業

 若い人たちならそれなりに効率もいいだろうが、何せ、一番若い人でも65歳は越えている。私は、73歳だが、丁度中堅どころだ。80歳目前という人すらいる。あちこちにある根っこを見つけては、人力で引っ張るが、まず100%取れない。そこで、バクホーを持ってきて掘り、取り除く。ところが、ブドウ園を考えて頂けたら分かると思うが、3mや4m置きに根っこがある。地上にある木や弦は取り除いてしまった為、どこに根っこがあるのかもよく分からない状態。年寄5人、重機を操りながらの七転八倒状態だった。朝8時半から、夕方5時までかかり、やっとそれらしく取り除けた。

 

毎日の散歩

 そんな訳で、昨日は家に帰って疲れ果て、朝書いたブログ原稿そのままで、一杯飲んでテレビを視て、寝たというのが真相である。このブログも書き出したのが昨年の3月頃だった。それから、途中休むこともあったが、ほぼ毎日書き続けている。カメさんのように、コツコツと、私にとって、これ位しかできないと思い続けているものでもある。

 今年に入り、大学時代の友人からのヒントで、毎日歩いてみることにした。当面、毎日5千歩がノルマにしている。昨日は、以上の作業をしていたので、8500歩程になった。昨日で、12日間続いている。平均7000歩/日位だ。ともかく、私にできる唯一、続けることだと思っている。

 

筋肉痛

 当初、足の付け根の上の両側の筋肉が痛くなった。当初、痛いのが筋肉なのかすら分からなくなった。歩いて足が痛くなる、膝が痛くなるというのは分かるが、この場所に影響があるとは知らなかったのだ。日頃運動らしいことは一つもやっていない人間が、歩くことだけでも毎日続けると、こんなことになるんだと初めて気づいた。当初、寝返りを打つのも億劫だったが、今では、何となく慣れてきた。この調子で続ければ、この部分の筋肉もつくだろう。若い時のように、痛みもすぐには消えない。

 

年寄の話、畦道が無くなる!

 そうだ!昨日のお昼の時間に、年長者の話で面白いものがあった。

 田んぼの畔と言ったら分かるだろうか。秋になると、こうした畦道が枯れる。そこで火をつけて燃やす野焼きというのがあちこちで行われる。虫の繁殖を抑えたり、草を短くするのが目的だが、放棄地状態になっている田んぼなどの草も燃やすのである。ところが、この長老は、昔、畔に火をつけて用事をしに出掛けた。数時間たって帰ってくると、この畔道が無くなっていたというのである。

 

意外な理由

 畔に生える草は、燃えてしまうと自然と消える。その後には、表面が黒くなった地肌の畦道が残るのが普通である。ところが、この畦道自体が無くなったというのである。訳が分からず、聞いた。「どうして、畦道が残らなかったんですか?」と。すると、「この辺の畦道は、泥炭で出来ていた。だから、畦道自体が下まで燃え尽きて、灰になってしまい、無くなってしまったんだよ」と言うではないか。そういえば、この辺は、常磐炭鉱の石炭がたくさん出るところ。泥炭が土に混ざっていたというのが真相だった。

 今日の仕事はボランテアのようなもんだが、年寄(自分も年寄だが)と話すと色々な話が聞けるもんだ、と、何か得した気分になった。