増えた日課
最近散歩することが日課として増え、その分、毎日の「気付き」も多くなった。一昨日は、北風が吹き、体感温度は数度だったのではと思うような寒さだった。春が来れば、5000歩どころではない、1万歩でも、2万歩でも歩けるのにと、春が待ち遠しい。毎日、居間から見る庭を眺めていただけでは、寒いだろうなー、までは分かっても、それ以上は何も感じないものだ。
老人の楽しむ権利
近くに、3,4年先輩がいる。もう6、7年以上にはなるだろうか、彼は、よく散歩をしていた。私が、家庭菜園で野菜作りに励んでいた頃だ。畑で作業をしていると、時々、散歩の帰り、と言っては訪れてくれた。その頃毎日していた散歩も、一昨年奥様を亡くしてからか、あまりしなくなり、当方も畑仕事を辞めたこともあって、カラオケで一緒になるくらいになった。ところが、このコロナ騒ぎである。カラオケもやらなくなった。今コロナで、飲食店で閑古鳥が鳴くと騒いでいるが、唯一の年寄りの心のよりどころである、「みんなと楽しむ権利」が、コロナによって侵されているのである。飲食店の経営もさることながら、老人の生命も侵されれているのではないかと懸念している。
先輩と歩く、かっての通学路
その先輩と歩いた。どうしているか、電話をしたら、散歩に付き合ってもいいという。女性同士で歩く姿はよく見かけるが、男同士で歩くなんてことはしたこともないが、やってみても面白いと思い、一緒に歩くことにした。
どこをどう歩くでもなく、行き当たりバッタリである。適当な道を曲がり、また、まっすぐといった塩梅。行く先々で、昔、その道を通ったことを思い出し、お互いの思い出を語る。
「ここに、新車という文房具屋覚えてる?」
「うん」
「ここにも小さな道があったよね」
「そうだなー」
てな具合である。
「そうだ、昔の小学校があったところへ行ってみようか」
となり、小高い丘の上にある、かっての小学校の敷地まで坂を上る。喘ぎ喘ぎである。そうして、すっかり変わった現在の敷地。今は、コミュニテーセンターに代わっている。
「ここに、昔、プールあったの覚えてる?」
「うん」
「どのくらいの大きさだったかなー」
「10mくらいはあったんじゃーない」
「そうだね」
「昔のグランドを横切ってみようか」
「この辺に、大きな桜の木があったね」
「そう? 覚えてないなー」
「学校から帰るのは、いつも、この裏道から帰ったよね」
「そう、そう、行くと、お墓があってね」
などと、すっかり変わった、かっての校庭。60年も前の姿を二人で思い出しながら、やんちゃ時代の姿を思い浮かべる。実に楽しい時間だ。
かっての校庭跡の丘の上から海の方を眺める、この田園風景は格別だ。そして、丘を下る。
「この道、通ったことある?」
「ほとんどないなー、いつも、あのお墓のある方の道だったから」
なんて言っていると、広ーい、田んぼが広がる風景に出た。
「あれ、なんていったかねー。田んぼの中に”ぼっち”があったよね」「藁を積み上げた丸いやつ」
「うん」
「あれ、藁束を一本一本崩しては遊ばなかった?」
「遊んだ、遊んだ!」
「良く、農家のおじさん、おばさんが、怒らなかったよね、折角積み上げて作ったものだったのに」
「子供が帰るとき、おじさん達、いなかったんじゃないか、それで気付かなかったんだよ」
「でも、農家のおじさん達も、子どものやることは大目に見てくれていたよね」
ここまで、風景を見ながら、色々な思い出を語り合った。長い人ひとりが通れる位の狭い田んぼ道、かっては。今は、それより広い幅の狭い道路ではあるが舗装されている。無機質の道路だ。
先輩の過去
すると、突然、
「俺、小学校の時に、人の預けられたことがあって・・・」
と、昔の生い立ちを話し始めた。お父さんを早く亡くしたことは知っていたが、こんなプライベートな生い立ちを聞くのは初めてだった。
「やんちゃ過ぎて、『もう面倒見切れません』って、帰された時があって・・・」と言うではないか、この先輩の性格は知っているつもりになっていたが、さもありなん、とは思ったものの、そこまでとは知らなかった。
「会社に入社するときもそうだった」
と今度は、学校を選ぶときのこと、会社に入った時のことを語り始めた。
綺麗な冬空
そして、しばらく歩くと、
「もう疲れたなー」
と言い出した。
「じゃー、ここで休もうか」
と、道脇にある用水路の土手に座り休むことにした。遠くに見える、青空に浮かぶ雲が綺麗だ。そして、遠くに見える阿武隈の山並み、思わず、携帯で写真を撮る。
土手の草の上に腰かけて、50年前の思い出を70歳過ぎた老人二人で、語り合ったのである。しばらく休んで、今度は少し歩いて、家の方向が分かれるところへ来た。
「それじゃー、気を付けて・・・」
と別れた。
また、今度、散歩に誘ってみよう。それ以来、未だ誘っていない。
もうそろそろ大丈夫かな?