ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

今昔物語

50年も前の我が家の風景

 「おーい、・・・ちゃん、お酒お店に運んで・・・。・・・の二級酒をね。」

 「分かった!」

と言うと中学生の私は、日本酒10本入った木箱を、蔵から運び出し、太ももの上に載せて、店の陳列棚迄運び、棚に並べる。お酒のラベルが、お客さんに見えるように揃えて並べる。すると、母親は、

 「 ラベルが、お客さんにも見えるように並べたね。よくできたね。綺麗だ。」

と褒めてくれる。

子どもにとって、母親から褒められることは、何より嬉しいものだ。そして、しばらくすると、

 「さっきの、お酒の空箱、一杯溜まったから、薪割りで割って!」

 小さなナタと大きま”薪割り”と称するマサカリがあり、これを振り上げて、木箱を細断する。昔、家では、お風呂を沸かすための薪が必要だったが、お酒の箱(10本入り)、ビールの箱(24本入り)など、店をやっていた都合で、色々な、段ボールや木箱が一杯出た。そうした箱類を潰して、薪にしていたのだ。だから、山に行って焚き木を拾い集めることなどしたことなかった。

 昭和30年代後半の我が家の風景である。

 

駅前の昔の風景

 「肉を駅前の・・・さん家に行って200g買ってきて!」「・・・薬局で、頭痛薬買ってきて!」と歩いて5分ほどの駅前に行けば、何でも揃った。床屋だってあった。小学生の頃は、パチンコ屋さんだってあったのを覚えている。 

 それから、5,60年の今の姿である。駅前には、一軒の店もない。薄汚れた、”・・・商店街” の看板がかかった街灯が、道端に淋しく建っている。いつの頃からだろうか。私の父が亡くなったのが平成元年だから、この頃から平成20年頃迄の間に、薬屋、写真屋、酒店、衣料品店、肉屋、野菜屋、床屋、お菓子屋、金物屋など日常品を取り扱う店が、・・・全て閉じた。

 

便利な車が様相を一転させた

 この理由は簡単である。車の発達である。駐車場のない田舎の店には、若い人は行かなくなった。少しくらい遠くても、大きな綺麗な近代的な店に車で家族で出かけるのである。

 近くの丘に上に(かっては、キノコが生える山)、3000世帯のニュータウンと称して、当時としては近代的な家が建ち、サラリーマンがこぞって、家を購入した。その人たちである。それと同時に、今まで馬や牛しか通らなかった農道が立派な2車線の舗装道路となった。そして、このニュータウンの真ん中を走り抜け、その道路の両脇に、かっての田んぼに、大型店が建ちだしたのである。もう20年は経つだろうか。

f:id:midori-chang:20220126100242j:plain

かっての”田んぼ”(ここから1kmで ”銀座通り” が始まる)

 駅と駅の間の農村がすっかり ”銀座通り” に変わった。大型電気店、日用品大型スーパー、本屋、メガネや、携帯ショップ、鍼灸院、歯医者、レストラン、コンビニエンスストアー、自動車や、ホームセンター、100円ショップ、おもちゃ屋、小学校など等、界隈の市町村でも有名になるほど、何でも揃う商店街・買い物エリアが続く。

 

たった、1.5kmの道路の両側が・・・

 昨日、端から端までどの位あるか歩いてみた。2000歩ちょっとであるから、僅か1.5kmほどのところにこうしたお店が道の両側に立ち並ぶ。昔は小学校が一つあっただけの通りだ。そして、ビックリなのは、老齢化を先取りしてか、葬祭場が3つもあることである。

 

f:id:midori-chang:20220126100415j:plain

大型店が並ぶ ”銀座通り”(手前左は、昔からあった小学校)

 これでは、かっての駅前商店街も太刀打ちできまい。

 更に、各店とも150台や200台は入る大きな駐車場を抱えているので、その一角に車を置かせたもらい、端から端まで歩き、車のところへ戻ると、往復で5000歩位にはなる。各店の様子を眺めながら、たまには、その内の1,2軒に入って商品を眺めていたりすれば、すぐ1日の散歩のノルマは達成だ。

 このエリアだけでは、これらの商店街を潤す人口はいないはずであるから、隣町、隣の市からもお客が来ているんだろう。たまに他県ナンバーの車を見かける。

 

置き去りの生家、進む過疎

 そして、道路の両側はこうした商店街などが続く。一方で、若者が少ない、と言われる中、近くにある生家に年老いた両親を残し、このエリアの裏側に新居を建てる若者夫婦。小学校はある、中学校はある、歩いて行ける距離にお医者さんもスーパーもあるとなれば、生活に便利であり、どんどん新しい家が建つ。

 「今度、結婚することになったんだ」「近くに住むから・・・」

 「それは良かった!」「どこに家を建てるんだい?」

 「あの道路の先に、家の田んぼがあったよね。あそこに建ててもいい?」

てな具合である。

 

 古い生家は置き去り、地域内過疎が広がる。