ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

長久保赤水

いつまで続く散歩

 昨日で、散歩をやろうと決めてから3週間がたった。たまたま雨も降らないこともあって、毎日続いている。このまま、何か月も、何年も続くかは、疑問符が三つも四つも付くが、あまり義務とは思わず、無理をせず、続けることに重きを置いて、やっていこうと思う。

 

昔の街道、陸前浜街道

 そうした”歩き”で色々なことに出会う。私の家は、昔の陸前浜街道水戸街道から続いて、おおよそ仙台まで続く街道)沿いにある。近場のこの街道を、探しに歩いた(車も使ったが)ことがある。というのも、新しい6号国道が、この街道を各所で交差し、更には、国道沿いに出来た工業団地に分断されたりして、詳細が分からなくなったため、どこにあるのか捜し歩いたことがある。数年前のことだった。

 

長久保石水、生誕地とお墓

 ごく近場(家から歩いて20分程度)には、江戸時代の地理学者、長久保赤水(ながくぼせきすい)の生誕の地がある。勿論街道筋である。赤水は、農家に生まれたが、地理学者としての偉業を認められ、のちに武士待遇となった経緯がある。そして、1779年、『改正日本輿地路程全図』(通称「赤水図」)を完成させたのである。それまでの日本地図に変わり、この地図が使われた。

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長久保赤水、生誕地(茨城県高萩市赤浜)

 細かな部分は別にしても、日本の北海道を除いた地図が示されている。

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長久保赤水の墓(茨城県高萩市赤浜、我が家から徒歩5分程度南)

また、この陸前浜街道を我が家より5分程度、南に歩いた海から数十mのところの松林の中に、長久保赤水の墓がある。(生誕地は、更に、街道を南に1km程度行ったところ)この街道を歩きながら、今では大きく育った松の木も、当時は無かったろうし、海や浜辺が見え、気持ちの良い街道筋だったことが窺える。

 

昔の旅人に思いを馳せる

 今ではアスファルト舗装になった細い道路だが、時々地域の人が軽トラックなどで通る道となっている。昨日は、我が町から隣町(高萩市)の駅まで歩いてみた。半分がその街道筋だ。赤浜という土地は、高台になっており、かって、松岡藩が取り仕切っていていた土地。周りの大きな木を頭の中で取り払って風景を眺める。右にお寺(願成寺)が見え、更に目を左の方に移すと、太平洋、浜辺、それにつながる海岸線が実によく見える。昔の人は、江戸から歩いてきて、ここは休憩地としては、実に見晴らしの良いところである。そういった土地柄も、地理学者、長久保赤水を生んだ遠因になっていたのかなーと思いを馳せる。

 

工業団地に分断される街道

 と思うと、ここからが、工業団地で分断されているところである。正確なことは分らぬが、地形的にどう考えても分断されたとしか考えようがない。江戸時代の街道をこうした開発で分断してしまうのは仕方ないのかなー、と非常に残念に思える。

 

さてさて、明日は、どこを散策しようか。・・・・

 ついでなので、書いておくが、私の地域の南のはずれに、”石水ドライブイン” というのがある。わざわざ、”赤水”を名乗らず、同じ語呂の石水を選んだのがみそだ。先ほどのお墓から100mほどのところだ。ここは、6号国道沿いにあり、ドライバーにも地域の皆さんにも慕われている食堂でもある。新鮮な刺身が売りの店である。是非、近場にご来場の折には立ち寄って頂きたい。