ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

お節介(おせっかい)

業務の垣根を取り払え

 現役で会社にいた頃、2、30年も前になろうか、よく言われた言葉がある。セクショナリズムが当たり前の世の中になって、セクションとセクションのどちらともつかない仕事が、忘れ去られてしまうという現象が発生し、よく、ここで問題が起こったものである。つまり、「これは・・・課がやるべきでは?」、「いや違う、これは、そちらの課がやるべきだ」というように、責任の擦り合いが始まるのである。そこで、管理職の連中が良く言った言葉が、「業務の垣根を取り払え」ということだった。

 

お節介不動産屋さん、現れる

 昨日、テレビを視ていたら、これと同じだなー、と思ったことがあった。「お節介不動産屋」と言う言葉だ。普通の不動産屋さんは、売りたい不動産を提示し、買いたい・借りたい人が来れば、家や部屋を紹介する。後は、契約金やら、・・・金やらとお金を払ってもらえば終わりである。そういった不動産屋さんが多い中で、入居するにあたって必要な、色々な手続き、買い物など、「お節介」よろしく、何でもお手伝いしてくれる不動産屋さんの話しだった。

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お節介不動産屋(ネットのNHK番組紹介から抜粋)

 特に、お年寄りは、車もないし、どこへ手続きに行ったらよいか分からないし、買い物だって、何をどこに買いに行ったらよいのかすら分からない、そんな中、何でも相談に乗り、やってくれる不動産屋さんがいたら大助かりである。日常生活でもセクショナリズムがはびこり、これをやったら私の業務はこれまで、という仕事が多い。そうでなくても、今は、年寄には不親切な世の中になっている。

 

外国人にも不親切

 これは、その年寄の話ではないが、この前、ワクチンの3回目接種の案内が回ってきた。それを受け取ったのが米国人。日本語教室で日本語を勉強している、まだ、日本語が良く分からない人である。その案内が、全て日本語で書いてある。どうやって予約をしたら良いのかと、私に相談してきた。ところが、日本人の私が読んでも分かりづらい資料なのだ。”QRコード” でと書いてあっても、年寄には、携帯のどこをどうやるのか、困ることばかりである。そこで、同じ教室にいるベトナム人若い女性を呼び、お願いしてみた。流石、若いだけあって、すらすらと事が進んだ。ところがこの米国人の携帯を扱った途端、全て英語表記である。このベトナム人女性は英語が分からない。でも、強力なこのベトナム人のお陰で、3人で何とか予約が出来た。

 

昔のお節介おばさん

 ひと昔は、結婚するのでも、お節介なおばさんがいて、適当なお相手を見つけてきて、この人ではどうか、と写真を持ち込んできたりしたものである。私が結婚する頃は、こうした ”お見合い結婚” と、今、一般的になっている ”恋愛結婚” は、7:3位でお見合い結婚の方が多かった気がする。ところが、今や ”お見合い結婚” と言う言葉は死語になった。つまり、お節介おばさんがいなくなったのである。それどころか、”仲人” という言葉も死語になりつつある。若い二人とご両親だけの結婚式が多くなったのである。

 

「若い個人」と「年寄の個人」

 昔の結婚式やお葬式などは、全てが「家」単位での行事であった。そのため、地域の親しい人たちまで呼んでお披露目することが一般的だったのである。その「家」という感覚がなくなり「個人」が中心となった。そして、「家」でつながっていた「お節介おばさん」もいなくなった。そして、「若い個人」と「年寄の個人」が顕在化してきた。世の中の発達が早く、「年寄の個人」は、そうした世の中から取り残されつつある。

 

広めたい「お節介・・・さん」

 そんな時に現れた、「お節介不動産屋」である。「年寄の個人」に対しては、強力な助っ人でもある。これからは、「お節介スーパー」「お節介お医者さん」「お節介薬屋さん」「お節介駅員さん」「お節介・・・」がはびこって欲しいものである。

 益々、老齢化が深刻化してゆく。「若い個人」と「年寄の個人」の垣根を取り払う社会、年寄に優しい  ”一言多い”「お節介社会」であって欲しいと願っている。