同期入社の友人と再会
昨日は色々なことがあった。会社に同期入社した友人が、写真展を仲間と一緒に開いているという(妻からの情報)。そこで、その友人に会いに行った。この友人は、九州の大牟田出身で、同じ工場に配属された数少ない3人(同期入社は83人)の一人である。趣味が豊富で、元々剣道の達人であるが、写真もやっているらしい。
携帯で撮る写真
何年かぶりに会ったが、会社を退社してから10年以上も経つというのに、昨日まで会っていた人かのような感じがするのは不思議なものだ。一通り彼の作品、同じ写真の同好の方々の写真を閲覧させてもらった。とても、私にはできない芸当である。写真を眺めていると、その同行の諸氏が「この写真は、アイフォーンで撮った写真ですよ」と言うではないか。ビックリして、再度、見てみたが、素人の私には、何十万円もするカメラで撮った写真と区別がつかない。携帯のカメラ機能も進歩したものである。
思い出の柿の木の切断
実は、この写真展には午後出かけた。理由は、この同期の友人の写真展の当番が午後だと分かっていたからだ。従って、午前中、庭にある柿の木の切断を、地域の友人の助けを借りて行った。
庭の木が大きくなりすぎたために、色々な木を短く寸詰めを行ったのである。子供頃からの思い出であったが仕方ない。
柿の木にも年輪
せめてもの思い出にと、切断した幹の部分を輪切りにして、それを使い思い出の小物を彫ってみたいと、輪切りにしたものを数個作った。そして、その木口を覗いてみると、ちゃんと年輪はあった。柿の木は四季のある国の木なので、年輪が無いというのは誤解だったことが分かった。
そんなことが、午前中にあり、午後、この同期入社の友人に会ったわけである。そこでの話。
思い出に浸る男性
「子どもの頃育った家に住むと、色々な子供の頃を思い出すよ」「思い出が詰まっている柿の木も、今日午前中切ったんだ」「理由は、妻から長くなりすぎたから切った方が良いと言われ、それがきっかけで、前々から思っていたことに踏ん切りがついたよ」「妻は嫁に来た人間だから、その土地や木などに思い出などないからなぁー」
とこの友人に話すと、
「私みたいに、九州から出てきた人間でも一緒だよ」
と言うではないか。へぇー、と続きを聞いた。
「年に一回位、誰も住んでいない実家に帰るんだ、もちろん妻も一緒。」「そして、別の九州の観光地に1泊して、後は、私の実家近くのホテルに泊まり、何やかやと実家の思い出に浸り、世話を焼いて来るんだ」「妻は、実家には何の思い出もないので、興味もないが、旅行で九州に行けるということで、興味を持って、毎回付いて来る」
と言う。なるほど。どこの家でも一緒だなぁー。でも、実家に思い出を見つける、と言うのは、男の特徴かなぁー、と思った。
思い出の小物製作
切った柿の木を処分してしまうのは、思い出を捨て去るような気がして、また、その木を植えた先祖に対しても申し訳ない気がした。そこで、輪切りにした幹を乾燥させ、何か思い出になるような小物を作ろうと、芸術性の全くない私が、芸術性の高い写真展で決心した一幕だった。
いつか、その小物を孫が見て、「これ、なあに?」と聞いたら、「これはね、昔、おじいちゃんが、君くらいの小さい頃、ブランコを作ってもらって遊んだ木から作ったもので・・・」とウンチクを話そう!