思い出深い海外の話
先週の週末から今日までの4日間、最近の私にしては忙しい思いをした。
先週の金曜日は、ベトナムの技能実習生に日本語を教える(於:さくら日本語学校)
先週の土曜日は、インドからきた会社員に日本語を教える(於:ボランテアで県施設)
日曜日は、日立市でボランテアでやっている「世界おもしろ発見クラブ」で、小学4年生~6年生の生徒に、世界で経験した色々な思い出を話して聞かせた。
上の写真は、昨年やった同じクラブで小学生に話している様子だ。
現役時代の経験談
こういったイベントやボランテアなども現在やっているが、毎回感じることは、現役で働いていた経験が全てに役立っているということ。そして、そのお陰で70歳を過ぎたおじいさんが、子どもたちや外国人とはいえ若い人たちと楽しく交流できるという事実である。
50年も前に、初めて飛行機に乗り海外出張に行き、そして、それから、つい15年前まで何度も海外に行き、外国人と交流し、外国の人たちを知り、それぞれの国の風俗習慣を知り、お陰で、自費出版本も世に出せ、そして、こうして交流もできる、本当に幸せ者だと思っている。
当時の思い
会社は、当時、私たちに「経験をさせたい」という思いより、「誰を行かせようか」という目的を達成させるために、私たちを海外に送り出してきた。そして、私たち家族は、楽しくも思ったが、「辛い」とか「また行くの」といった被害者的な考えの方が強かったが、今となってみれば、「楽しさ」「思い出深い」といった感情しか残っていない。
約40年の会社生活で、15年も海外で過ごした。でも、その経験が、今、花咲いたような気がしている。
今も残る各国での思い出
気温50℃のサウジアラビアで「死にそうになった経験」、イタリアでヨーロッパの人たちと会い、英語という外国語しか知らない「惨めさ」、シンガポールの場末の食堂で食べた「美味しいチリクラブ」、竹林が多かった中国の山奥の発電所、台湾で食べた屋台での夜、当時ですら何十年も前に建設したという片道5車線もあるオーストラリアのハーバーブリッジで知った、イギリス人の先見性、そして、貧困な国、危険な国と言われているフィリピンの人たちの家族思いの感情などに触れ、今考えると、本当に色々な思いをさせて頂いたと「感謝」の一言である。
英語だけが外国語じゃないぞ!
当時の会社の上司は、もう亡くなった方々も一杯いるし、まだ元気でおられる方々もいる。「外国語は英語だけじゃダメ、色々な言葉をこれからは覚えなきゃー」と言ったかっての上司の顔や表情を思い出す。
よくよく考えてみると、自費で海外に行ったのは、グアム位しかない。後は、全て官費、すなわち、出張で全て会社の費用である。出張の多い職場にいたせいか、国内出張も沖縄から北海道までほとんどの地域に出かけている。
そのせいか、今や、どこへも行きたくない。自分の家にいるのが一番である。
そして日本が世界で一番だ。