ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

二毛作

 ここの所、3日も休んでしまったブログ。最近粘りが無くなったと感じている。今までだったら、多少忙しくても、何か書こうとしてきた。

 

鎌田 實氏、医師

 そう思っていたら、今朝のテレビ寺子屋。目が覚めて、寝床で時間を知りたくて、毎度のことながらテレビを点ける。そこでやっていたのが、テレビ寺子屋である。今日は、鎌田實さん登場だ。途中からだったので、あらすじなどは分からなかったが、同じことを考えるもんだ、と思いながら見ていたので、ここで紹介する。後でネットで調べたら、同じ1948年生まれだった。

 

「孤独」ではなく「個独」

 テーマは「孤独」のようだが、彼が推奨する「孤独」は、「個独」である。鎌田さんは立派な医者だ。私とは比べようもない。しかしだ。農業者も商売人も会社員も考え方は同じだ。つまり、子どもを抱え、家族を抱え、生活のために働く人生が一つある。そして、その後に、よくいう第二の人生である。「働く」ことは、他人とのかかわりを持つ。しかし、第二の人生は、時として、「孤独」を招く。そして、この第二の人生を彼は、「二毛作」と称している。生活のために働くのが「一毛作」だ。そしてその収穫は、お金という形で生活費となり、家族全員が潤う。そして「二毛作」である。

 

人生の二毛作

 二毛作目の収穫は、彼の場合、世の中を潤すことだという。「三毛作」があっても良いという。多分、三毛作目の収穫は、自分を潤すことかもしれない。

二毛作

 私事となるが、会社生活を40年近くやってきた。その間、仕事柄、海外へ何度も行ったし、国内各地を歩いた。そして、いろいろな人にお世話になってきた。今、そうした海外の人たちにお返しのつもりで、日本へ来る外国人に日本語を教えている。彼らに、少しでも快適な生活を日本で送り、素晴らしい日本をたくさん経験して帰って欲しいと願うからだ。もちろん、結果的に、自分も楽しんでいるのである。

 

個立有縁

 鎌田氏は、「孤立無援」という言葉があるが、「個立有縁」という言葉を使っていた。つまり、コロナ禍(下)で、他人との接触を制限され、「孤立無援(縁)」になるところを、「個人」として独立し、程よく他人と縁を持ちながら過ごそうという意味である。夫婦間であっても、奥さんは、”おさんどん” をするものと決めつけ、亭主は待っていれば食事が出てくる、と思っている人も多いようだ。しかし、奥さんにも、今や第二の人生があるのである。

 

孤独を(楽しんで)生きる

 家族や奥さんからも、良い意味で「個立」し、その中でも「有縁」であり続けるという姿が、夫婦双方にとって良い生き方ではないだろうかと思う。「個」を楽しむのである。彼も言っている。

  「孤独に生きる」のでなく、「孤独を生きる」

のである。孤独を楽しむ生き方である。

 私は、今、「二毛作」で、楽しんでいる。しかし、忙し過ぎるのも困ったものだ。