ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

親友のパソコン

沖縄返還、50年

 私が就職したのは、1970年。沖縄返還は1972年だそうだが、新入社員の私は、そのニュースは知っていたものの、そんなに関心を持たなかった。大変、沖縄の人たちに失礼なことだった。今日のテレビでは、「日本の人は、自分のことと考えていなかった。」と沖縄の人たちが当時、日本本土の人たちにどういう印象を持っていたかを話していた。基地の必要性はある程度知ってはいるが、自分の近くにはあって欲しくない。沖縄なら仕方ない、というような考えがあったのではないだろうか。

 

パソコン時代到来

 そんな時代だった。そして、会社では、大形コンピューターからパソコンに移行する時代でもあった。その間に、ワープロという時代があって、手書きの文章が機械で書ける時代に入った。ワープロは5年位ではなかったろうか。そして、パソコンの時代である。大型コンピューターの時代から、技術計算を計算機にさせるというのは不得意だった。パソコンの時代に入っても、この「不得意」という一種の苦手意識が抜けきらないまま、定年を迎えた。

 

手書きが苦手に

 会社時代は、分からなければ、若い人たちに聞いて処理してもらっていた。それで仕事上、不都合は起こらなかったのである。ところがである。定年後何かをやろうとして記録に残そうとするとすると、「手書き」をしなかった「つけ」が回ってきた。手書きで記録を残すなんてことが出来ないのである。そして、色々な発表などの機会もあったりするが、それらの原稿書きでも「手書き」が出来なく困った。そして、パワーポイントなどは、会社でやっていたが、若い人に任せていたため、自分でやったことがなかった。子どもたちに昔の経験談を話そうにも、パワーポイントで原稿を作れないのだ。

 

60歳の手習い

 ワードだって、エクセルだって、いい加減にやっていた「つけ」が回ってきた。定年になってしまうと、周りに聞く人、教える人がいないのだ。ある時、パソコンの操作に困り、ご近所の人に尋ねた。教えてくれた。その人が言った言葉、「ネットで調べれば分かるよ」だった。

 その後、分からなければネットに相談する。すると、100%何でも解決できた。それ以降、パソコンとは友達になった。60歳からの手習いである。今では、殆どのことが不自由なくやれるようになった。

 

親友のパソコン

 今まで自主出版本も3冊出したが、いずれもワードで原稿は書いた。小学校の子どもたちへの昔話の原稿もパワーポイントで作った。こうしてブログもワードで書いている。そして数々のいろんな記録も写真付きで残している。パソコンも、定年後何台も買い替えた。

 毎日、パソコンに座っている時間も何時間にもなる。

  今や、親友のパソコンである。