ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

質素な技能実習生

足止めを食った技能実習

 昨日も、一日中、ベトナムからの技能実習生に日本語を教えた。21歳の若者二人である。彼らは、ベトナムで高校卒業後、会社に就職し、1年を経過した後、会社を辞めて日本へ来る決心をしたらしい。そして、半年間日本語勉強をベトナムでして、いざ、日本へとなったところで、コロナ騒ぎである。足止めを1年食らい、やっと日本にこれたということだ。

 来週からは、中国人が5人増えて、7人を対象に教育することになる。

 

日本は、もう実習先ではなくなる?

 昨日のニュースで、最近は、外国人にとって、日本へ働きに来るのもあまり魅力が無くなっているという。理由は二つ。一つは、受け入れる日本企業が安い労働力として彼らを利用しているという実態、そして、もう一つは円安だそうだ。当然ながら、日本で稼いだお金は母国へ送金することになるが、その価値が1割以上目減りし、もともと韓国などとの給与差で日本有利が、怪しくなってきたというのである。それで、今では、韓国、台湾などへの希望者が増えているということだ。

 

ベトナム人とのお付き合い

 ベトナム人とのお付き合いは、日本語教育を通してだが、彼らと接してみると、感覚的に日本人とあまり差がない感じがする。もちろん人にもよるが、相対的に、まじめで風貌も日本人と変わらない。工場などの現場で働いてもらうには、恰好な人材と言える。変に生意気なところがない分、日本人より管理者としては良いと思われる。

 先週まで教えていた二人は、農業と畜産の会社へと巣立って行った。3年間日本で働くことになるのである。

 

60歳間近のベトナム訪問

 ベトナムと言えば、定年間近に赴任していたフィリピンで、日本人会の行事で、ベトナムの日本企業訪問団に加わったことがあり、1週間ほど、北のハノイ、南のホーチミンの工業団地を訪問した。その折、食事でベトナム料理を食べた記憶はあるものの、食事の一つ位にしか思っていなかった私は、名前すら覚えようとしなかった。

 ところが、今、ベトナム人に日本語を教える段になって、しかも「食事とエチケット」を教えることになって、彼らに、ベトナム料理を教えてもらう羽目になった。あの時、写真でも撮って、しっかり脳裏に焼き付けておけば、彼らに、ベトナム通だと思わせられたのにと残念でならない。

 

おいしいベトナム料理

 あちこち、海外に行っているせいか、余り、外国料理とか外国の有名な場所などに興味も湧かなくなっていたのか。今になってネットで調べてみた。

 

 実習生が、上げた四つの代表的な料理である。米粉を使った麺の料理が多いが、パンセオだけは、日本のオムレツ風といおうか、お好み焼き風と言おうか、ちなみに卵は使っていない。これは、南の方のホーチミン特有の料理のようである。

 

質素な弁当

 来週からは、中国人の実習生が来る。また、中国文化に触れられる。楽しみである。彼らは、いわば、出稼ぎ青年という感じであるから、いわゆる庶民の感覚である。これが何とも心地よいのだ。

 毎日の生活がどうなっているのかも心配になる。今は、まだ日本で働いていないわけで、お金を稼いでいない。そこで、生活費はどうなっているか聞いてみた。すると、ベトナムから家族からもらったお金で食いつぶしているらしい。毎日、自分たちで弁当を作り持ってくる。それらを見せてもらうと、白い飯におかずが1品だった。今日は豚肉を細かく切って、味付けたものだけ。もちろん野菜など混ざっていない。

 

親、祖母の年齢を聞いてビックリ

 実習生の一人に、親の年齢を聞いた。40歳代。そこで、もしやと思い、おじいさん、おばあさんの年齢を聞いた。おじいさんはすでに亡くなっているという。おばあさんの年齢。なんと73歳だった。私より一つ年下だ。

 みんなに、私の年齢をばらしたら、「若い、若い」と言ってくれた。うれしい限りだ。私が、小学校のころ(今から60年も前)でも、こんな生活ではなかった。

 

質素な生活

 私も、小さい頃は、カレーと言えば、マグロフレークの缶詰を肉の代わりに使ったものが、毎回だった。少したって、上野駅には、東北からの出稼ぎ労働者が溢れた。今思えば、質素な生活しかできなかったのである。

 今、彼らが、そんな質素な生活である。  改めて、「質素」を再認識した。